FM東海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年3月19日 (水) 20:36時点における113.38.112.244 (トーク)による版 (開局と番組編成)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:日本のラジオ局 FM東海(えふえむとうかい)は、学校法人東海大学(東京)が超短波(FM)でのラジオ放送の実用化を目指して、1958年12月から1970年4月にかけて開設していた実験局、及び実用化試験局の通称。実用化試験局については広告放送(CM)の実施が認可されており、日本で最初民間放送FM局でもある(ただし、一般放送事業者、つまり企業が事業の一環として行なうものでは、エフエム愛知が1969年に開局)。英略称はFMT(FM Tokai)であった。

略史

超短波放送局の開設まで

日本においてテレビ放送が大衆に普及し始めた1950年代に当時の文部省は放送を使用した高等教育構想に関心を示していた。東洋大学文学部教授であった米林富男はテレビおよびラジオ放送を使用した勤労学生向け大学教育の研究を行っており、文部省は研究助成金も拠出していた。

こうした動きを見て、私立大学の中にFM放送を使用した大学ラジオ局や大学テレビ局を開設する動きが急速に盛り上がることとなった。その中でも特に熱心だったのが東海大学であり、日本の全大学の中でもっとも早い段階から準備を開始、1957年6月に超短波(FM)放送実験局開局認可を郵政省に申請した。

ファイル:Transmitter Room.jpg
東海大学代々木校舎内のFM東海送信機室 1959年頃

開局と番組編成

1958年4月に予備免許を取得。12月に「東海大学超短波放送実験局」(呼出符号JS2AO周波数86.5メガヘルツ出力1キロワット)として放送を開始、1959年11月に周波数を84.5MHzに変更、1960年4月には「東海大学超短波放送実用化試験局」(呼出符号JS2H、周波数84.5MHz、出力1kW)も放送を開始した。「FM東海」(略称:FMT)は主に後者を指すが、実用化試験局廃止後は実験局の呼び名ともなった。

生涯教育の普及に熱心だった初代総長・松前重義の方針から、東海大学による通信制授業(東海大学付属望星高等学校)がメインだったが、従来の中波放送とくらべ高音質であるという性質から、クラシックなどの音楽番組も編成された。将来的には東海大学の大学通信講座も実施する構想があった。 テンプレート:Main

FM放送に対応した受信機は1957年から登場していたが、オーディオ用チューナーや、当時「ハイファイラジオ」と称された真空管式の大型ラジオが大半で、いずれも高価であった。1960年代に入ると、FM東海で放送される通信教育講座を聴取するための安価なラジオ[1]も登場し、この頃からトランジスタラジオにもFM放送を受信できるものが増えはじめた。

国との悶着と閉局、エフエム東京開局へ

東海大学とほぼ同時期に運用を開始して正式な教育放送局実現が期待されていた東洋大学の超短波放送実験局が、資金不足の影響で実用化実験局への発展にいたらず断念に追い込まれたこともあり、実用化試験局への移行にあたってはスポンサーの獲得が文部省および郵政省から認可されていた。しかし、広告放送が認められていない実験局との区別があいまいなことが国会でも問題になった。また、文部省と郵政省が放送を使用した高等教育を政府として行う方向へ方針を転換したこともあって、「FM放送の実施のために必要な資料収集が完了した」という理由を郵政省は東海大学へ提示、1968年に実用化試験局の免許更新を拒否した。短期間再免許されたもののすぐに期間満了で一時不法無線局として、郵政省は電波法違反で東海大学を告発。これに対し東海大学は「これまでの実績を評価していない」として誣告(ぶこく)罪で郵政省を反訴するなどの騒動があったが、ほかの出資元も増やした株式会社形式の民間放送に移行することで、1970年4月25日に廃局。翌26日、東日本初の民間FMラジオ放送、エフエム東京(JOAU-FM、80.0MHz)に移行した。 テンプレート:Main テンプレート:See also

沿革

  • 1957年2月28日 東海大学、「富士山頂超短波放送実用化試験局」の免許申請書を理事長・松前重義名義により提出
ファイル:Electric Field Measurement.jpg
電界強度の測定(1958年)
  • 1958年
    • 3月1日 東海大学超短波放送実験局の免許申請書を提出
    • 4月25日 東海大学超短波放送実験局に予備免許(呼出符号JS2AO、周波数86.5MHz、出力1kW、演奏所・送信所は渋谷区代々木富ヶ谷、東海大学代々木校舎内)
    • 12月26日 東海大学超短波放送実験局に本免許
    • 12月31日 東海大学超短波放送実験局(FM多重放送)、放送開始
  • 1959年
    • 4月1日 FM放送利用の通信制高校・東海大学付属高校通信教育部設立(6月に初の入学式が行われた)
    • 6月1日 FM放送による高校通信教育講座が開始される
    • 11月 東海大学超短波放送実験局の周波数変更(86.5MHz→84.5MHz)
  • 1960年
    • 4月1日 東海大学超短波放送実用化試験局免許(呼出符号JS2H、周波数84.5MHz、出力1kW)
    • 5月1日 東海大学の「FM東海」(実用化試験局)放送開始
    • 5月2日 FM東海開局式、最初の商業FM放送局として本格的な営業開始
    • 6月 FM放送PRのためFM喫茶を設置
    • 8月 全日放送開始
ファイル:発明会館のFM東海第1副調整室.jpg
発明会館に移転後のFM東海第1副調整室 時期不明(1960年代)
  • 1962年5月 東京都港区芝西久保明舟町(虎ノ門)の発明会館ビルに新スタジオ、事務所が完成し、移転
  • 1963年
  • 1964年5月 FMT室内楽団およびFMT合奏団結成
  • 1965年11月1日 東海大学内にあった送り出し業務を虎ノ門スタジオに移転(送信所を除く一切の業務を虎ノ門に集中)
  • 1967年7月3日 日本航空のスポンサーにより『JET STREAM』放送開始(現在も放送中)
  • 1968年
    • 1月8日 郵政省、東海大学に対し「FM放送の実施に必要な資料収集は終了、実用化試験局(FM東海)は再免許しない」と通告
    • 2月10日 東海大学、実用化試験局(FM東海)再免許不許可について東京地方裁判所に免許拒否処分の取り消しと再免許の早期認可を請求する訴訟を起こし、また行政処分執行停止の仮処分を申し立て
    • 3月22日 東海大学、郵政省よりFM東海の実用化試験局免許延長の内示があったため、東京地裁への訴訟を取り下げ
    • 3月29日 郵政省、FM東海の実用化試験局の免許期間を延長(〜6月30日
    • 7月1日 郵政省、FM東海の実用化試験局の免許切れにより、放送中の電波は違法電波と警告、また9日に電波法違反で東京地方検察庁特別捜査部に告発)
    • 7月15日 東海大学、小林武治郵政大臣を相手取って東京地裁に提訴、また東京地検特捜部に誣告罪で告発
    • 7月16日 郵政省、FM東海の実用化試験局再免許申請に対し免許拒否の処分を正式決定
    • 8月9日 東京地裁、郵政省のFM東海に対する実用化試験局免許取り消しに対し「処分の効力を停止する」と裁定
    • 8月15日 郵政省、FM東海に関する地裁裁定を不服として東京高等裁判所に抗告
    • 9月13日 東海大学、郵政省がFM東海の実用化試験局再免許を拒否したことについて郵政大臣に異議申し立て(11月19日 取り下げ)
    • 11月26日 FM東海の実用化試験局が放送終了(11月27日からステレオ実験局のみとなり、広告放送は不可能に)
    • 12月26日 郵政省、FM東海の実験局に再免許(〜1969年3月31日
  • 1969年
    • 4月 郵政省、FM東海の実験局免許を延長(〜9月30日
    • 10月1日 郵政省、東京地区の民放FM局が予備免許に至らないため、FM東海の実験局免許を再延長(〜1970年3月31日)
    • 12月19日 郵政省、エフエム東京に予備免許(呼出符号JOAU-FM、周波数80.0MHz、出力10kW)
  • 1970年
    • 4月1日 郵政省、エフエム東京が未開局のため、FM東海の実験局免許を再延長(〜5月15日
    • 4月25日
      • 郵政省、エフエム東京に本免許
      • FM東海が放送終了、記念の特別番組『FM東海の10年』を放送し、エフエム東京に業務を引き継ぐ
    • 4月26日 エフエム東京、放送開始

放送されていた番組

テンプレート:出典の明記

  • クラッシック・タイム
  • 現代音楽の夕
  • 通信教育講座
  • ミュージックポケット 世界の音楽を訪ねて
  • サンデー・パーラー
  • 音楽文化史
  • Hi-Fiクラブ
  • FMコンサート
  • FMマチネー・コンサート
  • 七色の調べ
  • FM名曲ホール
  • ステレオ・アワー
  • ディスク・フラッシュ
  • ムーン・ライト・ドリーム
  • 夕暮れのハーモニー
  • FM教養大学
  • モーニング・コーヒー
  • 朝のホーム・コンサート
  • イブニング・コンサート
  • FMステレオ・ホール
  • ミュージック・ジョッキー
  • ボイス・オブ・トーキョー
  • モーニングメロディ

参考文献

  • 日本経済新聞1958年12月20日朝刊
  • 毎日新聞1958年12月20日朝刊
  • 教育学術新聞1959年1月26日
  • 朝日新聞1959年3月2日「素描」欄
  • 電子文化新聞1959年12月16日
  • 松前重義・谷村功監修『これからの放送FM』1962年
  • FM東海超短波放送編『FMの焦点』1964年
  • 東洋大学社会学部30年史編纂委員会「東洋大学社会学部30年史」1990年
  • 学校法人東洋大学「東洋大学百年史 資料編」1993年
  • 学校法人東洋大学「東洋大学百年史 通史編」1993年
  • 学校法人東洋大学「東洋大学百年史 部局史編」1993年
  • 学校法人東洋大学「東洋大学百年史 年表・索引編」1993年

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:学校法人東海大学
  1. ”シンフォネット” 日本ラジオ博物館 FM放送の始まり