電波法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Ambox テンプレート:Infobox 電波法(でんぱほう、昭和25年5月2日法律第131号)とは、電波の公平かつ能率的な利用を確保することを目的とする法律である。

構成

  • 第1章 総則(第1条~第3条)
  • 第2章 無線局免許等(第4条~第27条の34)
  • 第3章 無線設備(第28条~第38条)
  • 第3章の2 特定無線設備の技術基準適合証明等(第38条の2~第38条の38)
  • 第4章 無線従事者(第39条~第51条)
  • 第5章 運用(第52条~第70条の6)
  • 第6章 監督(第71条~第82条)
  • 第7章 異議申立て及び訴訟(第83条~第99条)
  • 第7章の2 電波監理審議会(第99条の2~第99条の14)
  • 第8章 雑則(第100条~第104条の5)
  • 第9章 罰則(第105条~第116条)
  • 附則
  • 別表

概要

本法では、「電波」、「無線局」という用語を定義している。

第2条第1号  「電波」とは、三百万メガヘルツ以下の周波数の電磁波をいう。[1]
第2条第5号  「無線局」とは、無線設備及び無線設備の操作を行う者の総体をいう。但し、受信のみを目的とするものを含まない。

本法の施行前から存在した文言ではあるが、法令上の用語として定義されたのは本法が初めてである。

更に、無線局には原則として免許を要すること、無線局の無線設備を操作する者として無線従事者を要することとした。 無線電信法では、無線局は官設が原則で官員(国家公務員に相当)が操作するので資格不要 [2] であるのに対し、私設には施設の許可と無線通信士などの配置を要求していたが、本法では官公庁が開設するものも無線従事者を要することとなった。

テンプレート:節stub

沿革

制定まで

電波法以前に無線通信を規制していたのは1915年(大正4年)に制定された無線電信法である。

1946年(昭和21年)GHQの民間通信局(CCS)は、新しく公布される日本国憲法に沿った民主的な法律に改正するように要求した。 また、翌1947年(昭和22年)には、CCSは連邦通信委員会(FCC)にならった委員会行政を取り入れよとも要求した。 逓信省は、当初は無線電信法を改正しようとしたがむしろ新しい法律を制定することにした。

以後電波法放送法電波監理委員会設置法と後に電波三法と呼ばれる形で法律案が作成された。 時の内閣総理大臣吉田茂は委員会行政に否定的であったが、最終的には日本版FCCといえる内閣から独立した形で電波監理委員会を設置することとなった。 三年間に法律案としては9次案まで至った。

この間、1949年(昭和24年)6月1日に逓信省は郵政省電気通信省に分離され、電波監理行政は電気通信省外局電波庁に引き継がれていた。

電波三法が施行されたのは1950年(昭和25年)6月1日であり、電波庁は電波監理委員会の事務局の電波監理総局となった。

電波監理委員会の廃止とその後の変遷

1952年(昭和27年)4月の主権回復後、7月31日に電波監理委員会は廃止され、電波監理総局は郵政省内局の電波監理局となった。 その後、電波監理局は1984年(昭和59年)7月の組織改正により電気通信局に、 2001年(平成13年)1月には、中央省庁再編により総務省総合通信基盤局となった。

なお、1985年(昭和60年)4月には地方電波監理局は地方電気通信監理局と改称した。

権限の委任

1971年(昭和46年)許可、認可等の整理に関する法律の施行により、本法に関する権限の一部を地方電波監理局長に委任できることとなった。

1972年(昭和47年)の沖縄返還に伴い、沖縄郵政管理事務所が設置され、沖縄県における本法に関する権限の一部が事務所長に委任された。

中央省庁再編後の権限の一部委任は総合通信局長(旧 地方電気通信監理局長)および沖縄総合通信事務所長(旧 沖縄郵政管理事務所長)にされている。

テンプレート:節stub

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:通信と放送に関する制度
  1. すなわち、周波数3THz以下、波長1mm以上の電磁波を指す。電波法の規定では、これ以上周波数の高い、赤外線、可視光線、紫外線などは日本の電波法の規制範囲外である。なお、航空法で定められる航空機内での電子機器の使用制限は、”通信そのものの運用制限”ではなく、”通信の運用を妨げることを防止するための運用制限”である。
  2. 但し、逓信官吏練習所で教育を受けた者が奉職していた。