針中野駅
テンプレート:駅情報 針中野駅(はりなかのえき)は、大阪府大阪市東住吉区駒川五丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)南大阪線の駅。同区のほぼ中心に位置する。
目次
[非表示]駅構造
- 相対式2面2線ホームを持つ高架駅でホーム有効長は6両である。
- 改札・コンコースは2階、ホームは3階にあり、改札口は1ヶ所のみである。
- 地上~改札口(2階)、改札口(2階)~ホーム(3階)はエレベータ・上りエスカレータが完備されている。
- 定期券・特急券は自動券売機で購入することができる。
- 区内の近鉄の駅では唯一売店がある。
のりば
1 | テンプレート:Color南大阪線(下り) | 藤井寺・古市・橿原神宮前・吉野・河内長野・御所方面 |
---|---|---|
2 | テンプレート:Color南大阪線(上り) | 大阪阿部野橋行き |
- 構内案内表記は上記のようになっているが、御所方面へ直通する列車はないため最低でも1回は乗り換えを行わなければならない。
利用状況
2012年11月13日の1日乗降人員は9,373人である[1]。
昭和30年代、当駅は近鉄全駅の乗降人員でベスト10に入っており、さらに近鉄南大阪線では、阿部野橋駅に次ぐ乗降客数を誇っていた。その後1980年(昭和55年)の10 - 11月頃には、当駅の1日乗降人員が34,000人ほどあり、沿線では大阪阿部野橋、藤井寺、河内松原に次ぐ乗降客数であり、又夕方のラッシュ時には、最高5分間隔で普通電車が運行されていた。しかし、1980年(昭和55年)11月27日に大阪市営地下鉄谷町線の天王寺駅-八尾南駅間が開業、乗降人員の多くが近くの駒川中野駅に流れ、激減した。
近年の特定日における1日乗降・乗車人員は下表のとおりである。
年度 | 調査日 | 乗降人員 | 乗車人員 | 出典 |
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2000年(平成12年) | 14,300 | 7,065 | [2] | |
2001年(平成13年) | - | - | - | |
2002年(平成14年) | - | - | - | |
2003年(平成15年) | 12,551 | 6,244 | [3] | |
2004年(平成16年) | - | - | - | |
2005年(平成17年) | 11月テンプレート:08日 | 11,419 | 5,680 | [4] |
2006年(平成18年) | - | - | - | |
2007年(平成19年) | - | - | - | |
2008年(平成20年) | 11月18日 | 10,723 | 5,251 | [5] |
2009年(平成21年) | - | - | - | |
2010年(平成22年) | 11月テンプレート:09日 | 9,856 | 4,844 | [6] |
2011年(平成23年) | - | - | - | |
2012年(平成24年) | 11月13日 | 9,373 | 4,617 | [7] |
駅周辺
商業施設
- スーパーマーケットKINSHO針中野店(駅の1階)
- マクドナルド針中野店(駅の1階、KINSHOの北隣)
- ミスタードーナツ針中野ショップ(高架下)
- ザ・ダイソー近鉄針中野駅前店(高架下)
- 駒川商店街
- スーパー玉出駒川店
- 井野屋フレップ駒川
- TSUTAYA針中野店
- ジョーシンはりなかの店(TSUTAYAの西隣)
- カレーハウスCoCo壱番屋近鉄針中野駅前店
- CaDen針中野店
- 大阪王将針中野店(CaDenと向かい同士)
- 喜多方ラーメン坂内・小法師
- ほっかほっか亭針中野店
学校
銀行
鉄道駅
徒歩で10分くらいの距離がある。
なお、廃止された南海平野線の中野停留場も本駅の近くに所在していた。
その他
- 中野小児鍼
- 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 針中野支店
- 東住吉駒川五郵便局
- 大阪市立東住吉図書館
路線バス
大阪市営バスの針中野駅停留所があり、以下の赤バス路線が走っていた。2013年3月31日をもって廃止された。
- 東住吉北ループ: 中野中学校前方面
- 東住吉南ループ: 東住吉区役所・駒川方面、鷹合4丁目・住道矢田方面
歴史
- 1923年(大正12年)4月13日 - 大阪鉄道の大阪天王寺(現・大阪阿部野橋) - 布忍間開通時に開業。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。関西急行鉄道天王寺線の駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道南大阪線の駅となる。
- 1976年(昭和51年)2月21日 - 高架化。
- 2007年(平成19年)4月1日 - PiTaPa使用開始。
駅名の由来
大正時代に鍼灸師の中野家41代目が、大阪鉄道の開通に尽力し、そのお礼として1923年の開通時に鍼灸院の最寄り駅の名前を「針中野」にしたといわれている。現在も駅名は「針中野」のままで、地名としても残っている[8]。なお、当駅東側の針中野2丁目には「はりみち」「でんしゃのりば」と書かれた石の道標が存在し、「はりみち」はこの鍼灸院への道筋を示している。一方、この道標の完成した日は当駅開業前の大正3年(1913年)4月であるため「でんしゃのりば」は当駅ではなく、当駅が開業する前から営業されていた南海平野線の中野停留場を示していたとされる。南海平野線#廃止後の状況・廃止後も残る平野線の面影なども参照。
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- 南大阪線
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行・テンプレート:Color準急
- 通過
- テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color急行・テンプレート:Color区間急行・テンプレート:Color準急