ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回
『ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんに1000回』(ゴッドアフタヌーン アッコのいいかげんにせんかい)は、和田アキ子がパーソナリティを務める、ニッポン放送をキーステーションに放送しているラジオ番組で和田アキ子の冠番組である。1990年4月7日放送開始。通称「いいかげんに1000回」、略称「アッコの1000回」。
目次
放送時間
概要
1990年の春改編に番組開始以来、20年以上続く長寿番組であり、聴取率は同年4月期の最初のスペシャルウィークより連続して同時間帯聴取率首位の座を不動の地位にしている(ただし、1991年以降はTBSラジオの「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」と1位を分け合う時もあり、特に2000年8月期以降は連続同時首位が大幅に増えている)。
番組は主にメインパーソナリティの和田アキ子とパートナーで進行担当のアシスタント2人によるフリートーク、リスナーからの電話(当初より)・FAX(当初より)・メール(1999年10月 - 現在)の紹介、曲(当初より)とさまざまなコーナーで構成される。かつてはこの他に生中継のレポーターのコーナーもあった。稀にトークが盛り上がり過ぎて曲がかからない場合があるのが特徴。
通常は生放送であるが、新年1回目と2回目の放送は、土曜日が三が日に当たる年も含み、和田が毎年年始休暇としてプライベートでオーストラリア旅行に行っているため、必ず事前収録となり、和田の思い出の曲を流すなどの編成となる。2回分の事前収録はほぼ毎年、年末最後の放送後に行っている。このことは、
- 交通情報の開始を知らせる担当が、アシスタントの垣花アナ以外のアナウンサー[1]
- 放送中にFAX・メールの募集をしない
- 一般リスナーが生電話で登場する「クイズワダオネア」がお休み
の3つですぐに分かる。かつては「レポーターの生中継がない」と言う特徴もあったが、現在は中継コーナー自体がない。
かつてはニッポン放送ニュースの際にニュース担当アナウンサーによる全てのニュース読み終了後、和田がそのニュースに短いコメントをしていたが、現在は和田がその時間はマイクから席を外すため行われていない(ただし、現在でも不定期にコメントする時がある)。また、交通情報の担当者への呼びかけ担当もかつては和田が行っていたがこちらも和田がその時間はマイクから席を外すため、現在は前述のとおり、交通情報の開始を知らせる担当のアシスタントの垣花アナがそのまま呼びかけ担当をしている。
和田がこの番組での発言が、当日のインターネットでのニュース速報や翌日のスポーツ新聞各紙の記事になることが稀にあり、当番組翌日に生放送されるTBS系列「アッコにおまかせ!」では、決まってその記事が紹介される。和田には、「世直し番組だと言われている。」と言っている。 また和田は、「この番組が自分のブログやツイッターの代わり。」だとも言っている。
2003年、長らく関東ローカル番組であったこの番組が、他地域にもネットされるようになった。
1992年のニッポン放送AMステレオ放送開始後も、タイトルコール後に流れるモノラル音源のオープニングBGMを1990年の番組開始当初の第1回から現在も使用されている[2]。
全国ネット開始後からCMフィラーの使用が開始され、CM明け前には『』(11:23)、ビリー・ヴォーン楽団演奏の『Wheels』(邦題:峠の幌馬車、11:25)、『Le Marchand de Bonheur』(邦題:幸福を売る男、11:32)、『』(11:54)、『Un homme et une femme』(邦題:男と女、11:55)、『The Entertainer』(12:23)、『San Francisco』(邦題:花のサンフランシスコ、12:25)、『San Francisco』(12:33)、『』(12:55)の洋楽のインストが使われている。「真夏の夜の23時」
パーソナリティ
- 和田アキ子(アッコ)
パートナー(進行担当アシスタント)
- 初代 田中義剛(1990年4月7日 - 1993年3月27日)
- 2代目 桜庭亮平(現・フジテレビアナウンサー)(1993年4月3日 - 2001年3月31日)
- 3代目 垣花正(ニッポン放送アナウンサー)(2001年4月7日 - )
ニュース担当
- 箱崎みどり(ニッポン放送アナウンサー)
過去のレポーター
※以下はすべて「TOYOTA飛び出せ!街かど天気予報」・「TOYOTAハッピータウンサーキット」担当レポーター
など
過去のニュース担当
- ひろた以外はニッポン放送アナウンサー(桜庭は当時)。
など
番組名の由来
番組タイトルは英語の「Good afternoon」を、和田の愛称「ゴッド姐ちゃん」の「ゴッド」に置き換え、「いいかげんに1000回」は「いい加減にせんかい!!」の語呂合わせ。番組開始当初は、単なる語呂合わせに過ぎなかったが、放送を重ねるにつれて「1000回」という番組タイトルが現実味を増していった。
- 当時和田曰く、1000回を一応最終回としていたが、850回を超えた時に「アッコのいいかげんに1000回」→「アッコのいいかげん2000回」(「に」と「2」の違い)にしようという話題が持ち上がった。
- 2009年12月26日放送で無事、番組名通りに放送1000回を達成したが、番組はそのまま継続し、タイトル変更の予定もない。
現在のタイムテーブル
ニッポン放送の2013年度のタイムテーブル。ネット局では、天気予報・交通情報・ニュースの部分は各局独自に差し替えている(福井放送は、和田の曲を1ブロックあたり1〜2曲放送している)。
- 11:00 オープニングトーク
- CMを挟んでもフリートークを続け、各コーナーが短縮される場合もある。
- 11:25 天気予報
- 11:27 交通情報(警視庁/首都高)
- 11:32 週刊ワダスポ
- 1週間の芸能ニュースを振り返るコーナー。和田はここで芸能情報を知ることが多く、翌日の『アッコにおまかせ!』ではここで得た芸能情報に基づきコメントをすることが多い。また逆にここでの発言が、翌日のスポーツ紙の芸能欄で記事にされることもある。録音放送時は実施しない。スペシャルウィークなどでゲストが出演する場合も原則休止する。
- 11:55 ニッポン放送ニュース・天気予報
- 11:57 交通情報(警視庁)
- ニュースは箱崎が担当、天気予報と交通情報は生放送時は垣花、録音放送時は箱崎が担当する。場合によってはニュースも垣花が読む。前述の通り、和田は12時まで席を外す。
- 12:00 名曲ディスカバリー
- 名曲のオリジナルとそのカバーを徹底的に聴き比べるコーナー。和田の都合により中止になる場合もある。録音放送時は11時台も実施する場合がある。
- 12:25 天気予報
- 12:27 交通情報(警視庁)/首都高速ルート情報(首都高)
- 12:32 おまかせ セブン-イレブン
- 12:45 クイズ・ワダオネア
- 2000年頃スタート。番組内での和田の発言を4択クイズにして出題。番組に寄せられた全てのハガキ、FAX、メールの中から選ばれたリスナー(通常1名だが時間に余裕がある、ないしは前週が録音の場合は2名、スペシャルウィークでは11時台も含め3名以上の場合有り)に電話をかけ回答してもらう。正解した場合は現金1万円が贈られる。『クイズ$ミリオネア』のパロディー。ノーヒントで問題の読み直しはしない。不正解の場合や回答者に選ばれたリスナーが電話に出ない場合は賞金はキャリーオーバーされ、次回放送時の問題が2問・回答者が2名になる。かつては、はがきに答えを書く方式で、翌週に正解を発表していた。
- 通常の投稿をしたリスナー全てがそのままクイズへの解答権を得る可能性がある(放送中に投稿が読まれたリスナーがクイズ回答者にも選ばれたケースもある)ため、クイズへの参加を想定していない投稿者は、留守にしてしまって電話に出なかったり、電話が掛かってきて面を喰らうケースが多々ある。その都度、「応募するくらいなら、ちゃんと聴いててもらいたい!」と和田が苛立つシーンがよく見られる。このことから、和田の提案により2012年8月よりこのコーナーの実施時刻を不定にする試みが始まり、オープニングトーク後の11時台に行ったりすることがある。
- 参加を希望するリスナーは、番組へのメッセージ中に必ず連絡先の電話番号および本名を入れるよう番組中に案内がある(ラジオネームとの併用可)。また、radikoで聞いているリスナーにあっては、その旨明記するように呼びかけている。radikoで聞いているリスナーが選ばれた場合は、radikoによる遅延の間に出題がされないよう、しばらく時間をおいてから電話をかける。
- 12:55 エンディング
主な出来事
1990年代
- 1990年4月7日 第1回放送。パーソナリティ・和田アキ子、パートナー(進行担当アシスタント)・田中義剛の2人でスタート。
- 1992年 第100回放送。
- 1993年3月27日 義剛が降板。
- 1993年4月3日 2代目アシスタントに桜庭が就任。
- 1994年 第200回放送。
- 1995年11月25日 番組内で和田が翌日行われるジャパンカップを取り上げ出走馬の一頭ランドがどうしても気になると発言。翌日行われたジャパンカップでランドが優勝し翌日のスポーツ紙一面に「アッコ大当たり!」の見出しが躍った。
- 1996年 第300回放送。
- 1997年3月 旧有楽町ニッポン放送本社スタジオからの最後の放送。
- 1997年3月 お台場のニッポン放送本社スタジオからの第1回放送。
- 1998年 第400回放送。
- 1999年10月 公式サイト開設、メールでの受付も開始。
2000年代
- 2000年頃 クイズワダオネアがスタート。
- 2000年 第500回放送。
- 2000年2月 アッコが交通事故で足を骨折したため、番組をお休み。
- 2000年11月18日 ゲストにアッコと親交の深いタモリを迎え、「タモリとアッコの対談裏話」と題して、面白トークを繰り広げた。
- 2000年12月 BSデジタルラジオLFX488で、ニッポン放送ニュース・天気予報・交通情報・CMがカットされた90分の短縮版が放送開始。
- 2001年3月31日 桜庭が降板。
- 2001年4月7日 3代目アシスタントに垣花が就任。垣花も先代の桜庭同様、すでにこの当時から2011年現在に至るまで、月曜日~金曜日帯生放送番組とこのアッコの土曜日に生放送の当番組とずっと掛け持ち出演中であり、番組・時間が変わっても5年以上日曜日以外の全曜日ニッポン放送にレギュラー出演している。
- 2002年 第600回放送。
- 2002年9月30日 公式サイトリニューアル。
- 2002年11月 LFX488で放送終了。
- 2003年8月16日 和田が子供好きであるということから「ミステリーツアー」と題して一般公募で選ばれた夏休み中の小学生の子供達をお台場のニッポン放送本社スタジオに招待した。ナビゲートは江戸むらさきが担当。
- 2003年10月4日 福井放送・ラジオ沖縄 でネット開始。
- 2003年10月11日 南海放送でネット開始。
- 2004年 第700回放送。
- 2004年3月29日 公式サイトリニューアル。
- 2004年7月頃 ナインティナインの岡村隆史を飲みに誘ったが、電話が掛かってこなかったという事件があり、岡村も同局で放送されている「ナインティナインのオールナイトニッポン」(木曜・深夜25:00-27:00)でこの話をしたところ、ナイナイの「オールナイトニッポン」のリスナーがこの番組にメールを送ったらしく、「岡村さんを怒らないで下さい。岡村さんも忙しくて電話が出来なかったようです。」という内容のメールが多数届いており、和田も理解をしていたようだが、その後和田は7月29日OAの「ナインティナインのオールナイトニッポン」では岡村に対しコメントを述べていた。
- 2004年9月 旧 お台場ニッポン放送本社スタジオからの最後の放送。
- 2004年9月 新 有楽町のニッポン放送本社スタジオからの第1回放送。
- 2004年10月21日・2005年2月22日 特別番組「アッコのいいかげんに1000回増刊号」を22:00 - 24:00に放送。2005年2月22日には華原朋美がゲストで出演。
- 2005年1月29日・2月5日 垣花が主任研修のため、かつて2代目として担当していた桜庭がアシスタントを務めた。
- 2005年10月1日 南海放送でネット終了。
- 2005年10月8日 前日に和田の母親が死去し、和田が欠席。ホリプロの後輩である井森美幸が代役を務めた(井森美幸のいいかげんに1000回)。和田が番組を休んだのは放送日が『NHK紅白歌合戦』のリハーサルと重なった日(NHKにスケジュールを押さえられるため)、ベッドから転落して肋骨を骨折した時、前述のとおり交通事故で足を骨折した時などがある。
- 2006年1月14日 第800回放送。
- 2007年4月7日 当時NHKアナウンサーの堀尾正明がゲスト出演。
- 2007年7月頃 エンディングテーマが1990年番組開始当初から使用していたモノラル音源の番組オリジナルBGMから、和田の「翼もないのに」に変更。
- 2007年8月25日 「アッコ・徳光 歌のタイムトンネル キーワードで振り返る昭和と平成」。8:30~13:00の長時間特番を放送。(アッコ・徳光のラジオ紅白歌合戦の項目も参照)
- 2008年1月19日 第900回放送。
- 2008年3月29日 ラジオ沖縄でネット終了。
- 2008年4月5日 大分放送でネット開始。
- 2008年10月4日 和田がアポロ・シアター公演明けの休養をとり、森公美子が代理出演。
- 2008年11月8日 ニッポン放送のイベント「ザ・ラジオパーク2008 in 日比谷」の会場の日比谷公園から公開生放送。和田が股間にコーヒーをこぼすハプニング。
- 2009年4月4日 高知放送でネット開始。
- 2009年12月19日 番組1000回を目前に和田の先輩であるいしだあゆみをゲストに迎える。いしだは和田がデビュー直後、同じ関西出身者として大変世話になった人物であり「和田アキ子物語」にも登場している。
- 2009年12月26日 第1000回放送。番組名どおり、放送1000回を達成。ゲストに加藤登紀子、徳光和夫を迎える。
- 2010年1月16日 1000回放送記念に徳光からいただいた旅行券15万円分のうち10万円分をワダオネアの商品に。しかしリスナーが留守のため持ち越し。
- 2010年1月23日 持ち越した旅行券10万円分を5万円ずつ2名に分けてワダオネアの商品に。しかし1名のリスナーが留守のため5万円分が再び持ち越し。
- 2010年5月1日 「ザ・ラジオパーク2010 in 日比谷」にて公開生放送。初代アシスタントの義剛がゲストとして出演。
2010年代
- 2011年3月12日 東日本大震災の報道特別番組に伴い、放送休止。
- 2011年11月19日 オープニング冒頭の2分後に和田の携帯に笑福亭鶴瓶から電話がかかってきたため、急遽ニッポン放送とつないで鶴瓶が電話出演。
- 2011年12月3日 第1100回放送。
- 2012年6月16日 IKKOおよびミッツ・マングローブがゲスト出演。通常ならば「週刊ワダスポ」は休止になるが、3日前に発表された松田聖子の再々婚についてリスナーからリクエストが殺到したため、この話題のみを「週刊ワダスポ特別編」として放送。また、徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー第2部に出演していた板東英二および宮根誠司がオープニングのみ急遽ゲスト出演。
- 2013年8月3日 和田が同年7月31日に生放送された『FNSうたの夏まつり』の出演中、垣花が自身のツイッターで「デーモン閣下と和田を組ませて、和田へ『お前も蝋人形にしてやろうか』(『蝋人形の館』の一節)と叫ばせたい」という意の投稿をしたことがリスナーから寄せられた。[3]垣花が番組直後に和田を賞賛するメールを送信していたことから、和田は生放送中に「どういう意味や?」と垣花に詰め寄った。驚いた垣花はマイクから遠のいて喋ったり、(垣花の自宅で番組を見ていたという意味で)「御自宅で見ていました」「夏のうたまつり」などとしどろもどろの弁明。挙げ句の果てに和田は垣花に「君、この後凍らせてやるから」と言い捨てた。
スタジオ
- 1990年4月7日 - 1997年3月:旧有楽町社屋では6階の第6スタジオ(通称:ブルースカイスタジオ)
- 1997年3月 - 2004年9月:お台場社屋では23階の第2スタジオ(愛称:スカイだいばスタジオ)
- 2004年9月 - 現在:現有楽町社屋では4階の第2スタジオ
長寿番組
1990年春改編から続く長寿番組で、ニッポン放送の生ワイドの昼番組の中では『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』に続き2番目に長い。
それぞれ1992年に100回、1994年に200回、1996年に300回、1998年に400回、2000年に500回、2002年に600回、2004年に700回、2006年に800回を迎えた後、2008年に放送回数は900回を迎え、900回の特集が組まれた。2009年12月26日に番組名どおり1000回を達成。2010年には20周年を迎えた。
- 番組開始時には当時のニッポン放送の長寿番組のパーソナリティであった玉置宏が出演した。
- 和田自身は、「1000回で終わり?」としながらも、和田と親交の深い森光子が90歳にしてなお現役で活躍していることをアシスタントの垣花から振られると「2000回、私は80歳近く。やれるかもね!」と意欲をみせている。
セブン-イレブン
セブン-イレブンは番組改編1993年4月からのメインスポンサーであり、また冠スポンサーでもある。しかしネット局の放送地域に店舗を出店していない地域もあるため、ニッポン放送のみのメインスポンサーとなり、ネット局では冠スポンサー名や一部のジングルはカットされている。ただし現在はネット放送を実施している大分県では2001年に、福井県ではネット放送開始後の2009年に同店は出店している。高知放送(高知県)やかつてのネット局の南海放送(愛媛県)やラジオ沖縄(沖縄県)では未出店である。
ニッポン放送では、番組名に「セブン-イレブン サタデースペシャル」がついたタイトルコールやジングルが存在する。 11:00の時報後、垣花による「セブン-イレブンサタデースペシャル ゴッドアフタヌーン」というコールのあと、1秒ほど間があってから、和田による「アッコのいいかげんに1000回」というタイトルコールが行われる。 ネット局では「福山雅治の魂のラジオ」と同様に、垣花の部分がカットされ最初の数秒間は無音になっている。 また、11:23・11:32・11:54・12:25・12:32にCMの合間で垣花による「セブン-イレブンサタデースペシャル」と言うジングルが、12:53のCM明け直前に「セブン-イレブンサタデースペシャル」ジングルと後提供クレジットが挿入される。
全国ネット開始前はスポンサーの好意により、11時台はオープニングトーク(最大11:45頃まで)、メール・FAXテーマの発表(時間制限に達した場合は、トヨタ自動車のコマーシャルの後に発表)、セブン-イレブンのコマーシャル2本、「TOYOTA 飛び出せ街かど天気予報」(後にTOYOTA ハッピータウンサーキットに改題 現在は、放送終了)、トヨタ自動車のコマーシャル2本、11:50頃までトーク・曲という、時間配分が自由な構成になっていた。 このため、和田はほとんど時間を気にせずオープニングトークをすることができ、話題が尽きないときは時間制限いっぱいまでしゃべることも少なくなかった。 またBGMが15分で終わるようにできており、BGMが止まると和田のしゃべりが一瞬止まってしまうところが聴き所でもあった(後にBGMを20分程度まで延長したが、それでも足らないことがあったため最終的に40分程度まで延長)。 これらは番組の大きな特徴でもあったが、ネット開始後は、ネット局への配慮からオープニングトークに時間制限がついた。
また、セブン-イレブンからのお知らせ「おまかせ セブン-イレブン」(生コマーシャル)はネット局でもそのまま放送される。
ネット局
以前のネット局
- LFX488(2000年12月 - 2002年11月) - ニッポン放送が制作していたBSデジタルラジオのチャンネル。ニッポン放送での本放送終了後、CM・天気予報・ニュース・交通情報・フィラー音楽をカットして90分に編集され、その日の夜に放送。最後の1年間は水曜夜にもリピート放送が行われていた。チャンネルの編成方針の見直しにより終了。
- ラジオ沖縄(2003年10月4日 - 2008年3月29日)
- 南海放送(2003年10月11日 - 2005年10月1日) - 終了の翌週からみのもんたのウィークエンドをつかまえろのネットを開始した。
歴代スタッフ
- 現在のディレクター :
- 現在の放送作家 :
- 歌川知憲
- 金沢知樹
- 歴代のディレクター :
- 歴代のプロデューサー :
- 金井尚史(2003年8月2日当時のプロデューサー[2])
- 過去の放送作家 :
- 安野智彦
- 鈴木おさむ(サブ作家担当)
関連項目
- ニッポン放送番組一覧
- アッコ・徳光のラジオ紅白歌合戦→報道・スポーツ・芸能ニュース アッコ・徳光 歌のタイムトンネル
- ニッポン放送 THEラジオパーク in 日比谷
- DJアッコのパニックスタジオ(エフエム東京)
- アッコにおまかせ!(TBS)
脚注
- ↑ 代役も、基本的にニッポン放送のアナウンサーである。
- ↑ ちなみに「いいかげんに1000回」開始以前から放送されている他番組は、すべてのオープニングBGMがステレオ音源に変更されている。
- ↑ リスナーからのメッセージは通常アシスタントの垣花が読み上げるが、これについては垣花の手には渡らず、スタッフが和田へ直接渡していた。