グティ
グティ(Guti)ことホセ・マリーア・グティエレス・エルナンデス(José María Gutiérrez Hernández、1976年10月31日 - )はスペイン・トレホン・デ・アルドス出身の元スペイン代表サッカー選手。
本来のポジションはMFだが、2000-01、01-02シーズンはチーム事情によりFWとしてプレーした。グラウンダーの高速スルーパスを多用したゲームメークが得意。またフリーキックやシュートも正確である。カンテラ時代はトップ下で毎シーズン30得点前後を記録していた[1]。
経歴
レアル・マドリード
1984年にレアル・マドリードの下部組織(カンテラ)に入団した。金髪をなびかせた風貌や優雅なプレースタイルがベルント・シュスターに似ていたことから、小さい頃は「リトル・シュスター」というあだ名があった。シュスターは2007年夏にレアル・マドリードの監督に就任し、1シーズンではあるが選手と監督の関係になった。レアル・マドリードに入団したころはストライカーだったが、後にミッドフィールダーに転向し、1995年、ホルヘ・バルダーノ監督が率いるトップチームに初めて招集され、12月2日のセビージャFC戦でトップチームデビューした[2]。1995-96シーズンは9試合に出場して1得点を決めた。1996-97シーズンは17試合に出場し、リーガ・エスパニョーラのタイトルを獲得した。1997-98シーズンにはスーペルコパ・デ・エスパーニャ、UEFAチャンピオンズリーグのトロフィーを掲げた。
1998-99シーズンにはトヨタカップで優勝し、シーズン途中にはMFホシコやMFフアン・カルロス・バレロンらとともにUEFA U-21欧州選手権で優勝した。この大会では背番号14を着けており、これ以来ラッキーナンバーとしてクラブでもこの背番号をつけた。1999年5月5日、クロアチア代表戦でスペイン代表デビューした。同年6月22日に結婚し、子供を2人授かるも、2009年に離婚している。
1999-2000シーズンはクラレンス・セードルフにポジションを奪われ、倒れた相手を蹴って退場になったこともあったが、ビセンテ・デル・ボスケ監督に信頼されて中盤の軸になった[2]。試合中に感情をあらわにする欠点があり、2010年までにリーグ戦だけで8度の退場処分を受けている。同シーズンには再びUEFAチャンピオンズリーグのタイトルを獲得し、自身はリーグ戦28試合に出場して6得点を決めた。2000-01シーズンはFWフェルナンド・モリエンテスが怪我で長期離脱したため、シーズンの大半の試合でフォワードとして出場し、キャリアハイの得点数(14得点)を記録した。27度目のリーグタイトルを獲得し、スーペルコパ・デ・エスパーニャでも優勝した。人口約5万人の小都市に本拠地を置くビジャレアルCFとのアウェー戦では彼らのファンに対して「田舎者」と言い放って中指を突きたて、スペイン国内すべての新聞で報じられる問題を引き起こした[2]。
2002年にFWロナウドが加入すると、FWでプレーしていたグティはポジションを奪われた。しかし、ボランチでプレーしていたイバン・エルゲラがCBへコンバートされ、守備的MFクロード・マケレレのパートナーが定まっていなかったことで、デル・ボスケ監督はグティをセンターハーフに抜擢した。このコンバートが大成功し、グティは新たなポジションを獲得。再び中盤でプレーするようになり、2度目のUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAスーパーカップ、インターコンチネンタルカップのタイトルを獲得した。2004-05シーズンは過去7シーズンで初めてリーグ戦ノーゴールに終わり、このシーズンの彼のゴールは、2005年2月にスペイン代表のサンマリノ戦で挙げた1点だけだった。2005-06シーズンは公式戦を通じて43試合に出場し、リーグ戦で4ゴール、欧州カップ戦で2ゴールを挙げた。
2006年夏、ACミランからMFカカを引き抜くことを公約に掲げたラモン・カルデロンがクラブの新会長に当選したため、カカとポジションが重なるグティの将来に暗雲が漂った。彼はローカルライバルのアトレティコ・マドリードに移籍することも検討したが、結局移籍することはなく、カカもACミランに残留した。2006 FIFAワールドカップをもってジネディーヌ・ジダンが現役引退したため、2006-07シーズンは司令塔のポジションに定着し、チームで唯一違いが生み出せる選手と評価された。多くのゴールをアシストし、30回目のリーグ優勝に貢献した。後に、過去の優勝の中でこのシーズンのリーグ優勝が一番嬉しかったとインタビューで語っている。
2008年2月10日のレアル・バリャドリード戦では2得点3アシストの大活躍で7-0の大勝に貢献し、マン・オブ・ザ・マッチに輝いた[3]。2007-08シーズンはリーグ優勝を果たし、自身はアシストランキングでトップに立った[2]。9月14日のCDヌマンシア戦ではクラブの通算5000得点目を決めた[4]。2009年夏、監督がマヌエル・ペジェグリーニに交代し、ACミランからカカが加入したため、出場機会は減少した。格下相手に0-4の敗戦を喫したコパ・デル・レイのADアルコルコン戦では、ハーフタイムに屈辱的な途中交代をさせられ、試合後には首脳陣を批判するコメントを残したため[5]、それからしばらくの間招集メンバーから外された。ADアルコルコン戦後には8年前同様に相手ファンに中指を突き立てて議論を醸した[2]。カカが負傷によりチームを離脱すると、再びレギュラーとして出場した。
レアル・マドリードとの契約を1年残していたが、2010年7月25日、下部組織時代も含めると25年間在籍したレアル・マドリードからの退団を発表した[6]。
ベシクタシュJK
2010年7月26日、レアル・マドリードで2007-08シーズンに師弟関係にあったベルント・シュスター監督が率いるトルコ・シュペルリガのベシクタシュJKと2年契約を交わした[7]。背番号はレアル・マドリード時代と同じ14番が用意された。
2011年11月に契約を解除し、退団した[8]。
現役引退
ベシクタシュJKを退団した後2012年まで無所属の期間が続き、2012年7月に現役引退を発表した[9]。2013年、レアル・マドリードのU-12チームのコーチに就任することをマルカが伝えた[10]。
評価
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 ビセンテ・デル・ボスケには「グティにラウル・ゴンサレスほどの努力ができたなら、サッカー史に残る選手となっていただろう」と評された[10]。ロナウドがレアル・マドリードに移籍して一番驚かさせられた選手はグティであったという。またルート・ファン・ニステルローイも「グティほど天才という言葉が似合う選手はいない、グティは本当にパスが上手であり、スペイン代表に招集されないのはおかしい」と発言している。この2人は何度もグティのアシストから得点を決めた。
エピソード
所属クラブ
- 1989-1996 テンプレート:Flagicon レアル・マドリードB 26試合 / 11得点
- 1995-2010 テンプレート:Flagicon レアル・マドリード
- 2010-2011 テンプレート:Flagicon ベシクタシュ
個人成績
テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |1995-96||rowspan="15"|R・マドリード||rowspan="3"|26||rowspan="15"|プリメーラ||9||1||colspan="2"|-||colspan="2"|-||9||1 |- |1996-97||14||0||3||0||colspan="2"|-||17||0 |- |1997-98||17||1||1||0||colspan="2"|-||18||1 |- |1998-99||rowspan="14"|14||28||1||4||2||colspan="2"|-||32||3 |- |1999-00||28||6||4||1||colspan="2"|-||32||7 |- |2000-01||32||14||colspan="2"|-||colspan="2"|-||32||14 |- |2001-02||29||4||7||6||colspan="2"|-||36||10 |- |2002-03||34||4||2||2||colspan="2"|-||36||6 |- |2003-04||26||2||8||1||colspan="2"|-||34||3 |- |2004-05||31||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||31||0 |- |2005-06||33||4||4||0||colspan="2"|-||37||4 |- |2006-07||30||1||colspan="2"|-||colspan="2"|-||30||1 |- |2007-08||32||3||4||1||colspan="2"|-||36||4 |- |2008-09||18||3||1||0||colspan="2"|-||19||3 |- |2009-10||26||2||1||0||colspan="2"|-||8||2 |- |2010-11||rowspan="2"|ベシクタシュJK||rowspan="2"|シュペルリガ||22||7||6||3||||||28||10 |- |2011-12||1||0||0||0||||||1||0 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始|387||46||40||13||colspan="2"|-||427||59 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始|23||7||6||3||||||29||10 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終|410||53||46||16||||||456||69 |}
代表での得点
# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2002年10月12日 | テンプレート:Flagicon アルバセテ | テンプレート:NILf | 2-0 | 3-0 | UEFA欧州選手権2004予選 |
2. | 2003年2月12日 | テンプレート:Flagicon パルマ・デ・マジョルカ | テンプレート:GERf | 3-1 | 3-1 | 親善試合 |
3. | 2005年2月9日 | テンプレート:Flagicon アルメリア | テンプレート:SMRf | 4-0 | 5-0 | 2006 FIFAワールドカップ欧州予選 |
タイトル
- 1996-1997 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
- 1997-1998 スペイン・スーパーカップ - 優勝 / UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
- 1998-1998 トヨタ・ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ - 優勝
- 1999-2000 UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
- 2000-2001 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
- 2001-2002 スペイン・スーパーカップ - 優勝 / UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
- 2002-2002 トヨタ・ヨーロッパ/サウスアメリカ・カップ - 優勝
- 2002-2003 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / UEFAスーパーカップ - 優勝
- 2003-2004 スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 2006-2007 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
- 2007-2008 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
脚注
テンプレート:UEFA U-21欧州選手権1998スペイン代表- ↑ 1.0 1.1 1.2 「つねに自分らしく」『WORLD SOCCER DIGEST No.303』 第15巻第22号、日本スポーツ企画出版社、2009年、74-77頁
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 グティ、“天使と悪魔”Goal.com、2010年7月27日
- ↑ Real Madrid 7-0 ValladolidR・マドリード公式ウェブサイト、2008年2月10日
- ↑ グティ:5000本目のゴールR・マドリード公式ウェブサイト、2008年9月14日
- ↑ グティ:「ペジェグリーニは残るべきだった」Goal.com、2010年5月28日
- ↑ レアルMFグティが退団、トルコ行き検討ロイター、2010年7月26日
- ↑ レアル・マドリー退団のグティ、ベシクタシュ入りが決定スポーツナビ、2010年7月27日
- ↑ グティ、現役引退を宣言Goal.com 2011年11月29日
- ↑ 元スペイン代表MFグティが現役引退を決断…レアルで3度のCL制覇を経験SOCCER KING 2012年7月12日
- ↑ 10.0 10.1 テンプレート:Cite web
- ↑ グティ熱狂的レアル・マドリードファン