関長克
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関 長克(せき ながかつ)は、備中新見藩の第9代(最後)の藩主。新見藩関家10代。
天保11年(1840年)10月26日、第6代藩主・関長輝の次男(または三男)である関長吉の長男として生まれる。
安政4年(1857年)に第8代藩主・長道の婿養子となり、安政5年(1858年)10月16日、長道の死により家督を継いだ。安政6年8月15日、将軍・徳川家茂に拝謁する。同年12月16日、従五位下備前守に叙任する。後に民部少輔、伊勢守に改める。元治元年(1864年)5月13日、従五位上に昇進する。幕末期は大坂城の加番や京都の守備役を務めた。
慶応4年(1868年)2月6日、上洛し、新政府側に与した。同年2月22日、新政府から備中国内の幕領管理を命じられたのにともない、帰藩を願い出る。同年4月25日、備中国内の幕領管理の任務を解かれる。また、備前岡山藩と共に伊予松山藩征伐に参加した。明治2年(1869年)6月22日、版籍奉還により藩知事となった。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官となった。明治10年(1877年)3月17日に死去した。享年38。関家の家督は妻の亭以が相続した。