阿蘇惟直

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年4月8日 (月) 20:08時点におけるF.M.H (トーク)による版 (本文改変、カテゴリ改変)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

阿蘇惟直(あそ これなお、生年不詳 - 建武3年/延元元年3月2日1336年4月13日))は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将阿蘇氏の第9代当主。第8代当主・阿蘇惟時の子[1]

生涯

1333年、幕命を受けて阿蘇惟澄と共に楠木正成が立て籠もる千早城攻めに参戦しようとしたが、護良親王の命を受けて討幕運動に活躍した。しかし九州における討幕運動においては、鎮西探題北条英時の鎮圧を受けて、失敗してしまった。1336年、九州に落ちてきた足利尊氏を迎え撃ち、肥後国菊池武敏筑後国蒲池武久星野家能らと共に多々良浜の戦いにて戦ったが、敗れて肥前国小城郡天山にて自害した[2]

出典

テンプレート:Reflist

参考文献

テンプレート:Asbox
  1. 熊本日日新聞編纂・発行『熊本県大百科事典』、1982年、18頁中段
  2. 熊本教育振興会編『肥後の人物ものがたり』熊本教育振興会、1988年、24-25頁