大塔村 (和歌山県)
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テンプレート:Infobox 大塔村(おおとうむら)は、かつて和歌山県西牟婁郡にあった村。
2005年(平成17年)5月1日に田辺市・龍神村・中辺路町・本宮町との新設合併により、現在は田辺市大塔地区となっている。富田川流域の鮎川から日置川上流域の山間部を含む地域で、中辺路町、古座川町などと面していた。大塔山系の約半分がこの地域に含まれるが、過疎化などにより人口が減少しつつあった。
村名の由来は、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王が、都から落ちのびる際立ち寄ったという故事からである。
地理
和歌山県の南に位置し、紀伊山地の中にある。そのため高く険しい地形で平地が少ない。
隣接していた自治体
歴史
- 1956年(昭和31年)9月30日 - 三川村および富里村の一部(平瀬・和田・下川上・下川下)・鮎川村の一部(1 - 390番地の一部)が合併して発足。
- 2005年(平成17年)5月1日 - 田辺市・中辺路町・日高郡龍神村・東牟婁郡本宮町と合併し、改めて田辺市が発足。同日大塔村廃止。
教育
小学校
中学校
- 大塔村立大塔中学校(現・田辺市立大塔中学校)
1993年(平成5年)4月1日に鮎川中学校・三川中学校・富里中学校を統合し、村内で唯一の中学校として開校
交通
鉄道
村内に鉄道路線はなかった。最寄りの駅は上富田町にある紀勢本線朝来駅。
道路
- 一般道路
- 県道
- 道の駅