入間川部屋

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入間川部屋(いるまがわべや)は、日本相撲協会に所属し、かつ出羽海一門に属する相撲部屋。

歴史

1992年5月場所を最後に現役を引退して、以降は春日野部屋の部屋付き親方となっていた入間川親方(元関脇栃司)が、1993年1月に内弟子3名を連れて春日野部屋から分家独立して入間川部屋を創設した。1993年9月場所後に埼玉県与野市(現在のさいたま市)で部屋開きを行った。

学生相撲出身の力士が多く、1994年1月場所において新十両へ昇進した大倭を最初として、現在までに5人の関取を輩出している。師匠の現役時の四股名から取った「司」という字が付けられた力士が多い。2004年にはエストニアから北欧司音が入門した。現在は所属力士7人という小規模で活動している。

2011年に発覚した大相撲八百長問題では、所属力士である十両・将司が日本相撲協会からの引退勧告処分、幕下・恵那司が出場停止2年の処分を受けて引退し、師匠である入間川親方は監督責任として委員から主任への降格処分を受けた。

所在地

師匠

  • 16代:入間川 哲雄(いるまがわ てつお、関脇・栃司、愛知県

力士

現役の関取経験力士

幕内

前頭

十両

所属年寄

旧・入間川部屋

1912年1月場所を最後に現役を引退して年寄・入間川を襲名した12代入間川(元小結両國)が、同時にそれまで所属していた出羽ノ海部屋から分家独立する形で入間川部屋を設立した。1923年に5代出羽ノ海(元横綱・常陸山)の死去に伴い、12代入間川は年寄・出羽ノ海を「出羽海」と改めた上で6代出羽海を襲名し、入間川部屋は出羽海部屋へ統合された。この時、入間川部屋から出羽海部屋に移籍した力士の中には、後の関脇・新海千賀ノ浦部屋からの預かり弟子だった後の関脇・綾川らがいた。その後、年寄名跡・入間川は出羽海一門のものとして一門内で継承され、出羽海一門の「不許分家独立」の不文律に従ってきた。

外部リンク

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