電卓
電卓(でんたく)は、計算機の一種で電子(式)卓上計算機(でんししきたくじょうけいさんき)の略である。JISの用語では、1979年(昭和54年)にJIS B0117で「電卓」が使われるようになった。名前の通り、電子回路によって計算を行い、卓上で使用できる(ないし、より小さい)サイズである。
英語版Wikipediaの記事名はCalculatorとなっているが、日本語の「電卓」に相当するものを指す語としては、単にcalculatorとするより、electronic calculator(電子-)やpocket calculator(ポケット-)[1]のほうが近い(後者には、ポケットサイズでない「卓上」に相当するものは含まれないが)。
概要・種類
名前のとおり机の上で使うのに適した大きさの小型計算機である。カード型のものが現れたり、また「電卓」という名前のソフトウェアがパソコンや携帯電話に搭載されるなどしたりして、現在では必ずしも「卓上」ではなくなっている。消費税の導入後には消費税の計算を簡単にワンタッチでできる機能なども付加されるようになった。普段は慣用的に「電卓」と呼ばれる。
普通電卓
四則演算や百分率の計算ができる電卓。一般に使われている電卓の多くはこれである。8桁以上の計算ができる機種が多い。ルートキーのある機種とない機種に分かれる。また税抜キーや税込キーがあるものもある。たとえば日本(消費税率:5%)の電卓の場合、数字を入力して税抜キーを押すと1.05で割った値が表示される。同じように税込キーを押すと1.05を掛けた値が表示される。将来の消費税率の変更に備え、税率設定が変更できるようになっているものが多い。時間計算(60進法の計算)や商売計算(原価、売価、利益率のうち2つから残る1つの値を求める)ができるものもある。大きさは手帳程度が一般的だが、中にはキーリングつきで数センチのものもある。
事務用電卓
大量の事務計算を素早く正確に行うことを目的とした電卓。表示桁数は10桁から12桁程度のものが多い。数字入力の効率化のため「00」「000」キーがあったり、「+」キーが大型であったり、その他のキーや表示も大きくなっている。伝票計算などで確認がしやすいように、1度目の計算の際に入力値を保存しておき、2度目の計算の時に保持している値と入力中の値に食い違いがないかを比較してくれる機種もある。普通電卓と同じく時間計算や商売計算に対応したもの、入力した値や計算結果を紙に印字するプリンターを内蔵したものもある。
また、事務用電卓独特の操作方法として加算器方式を採用しているものがある。加算器方式の電卓では[=]キーの代わりに[+=]、[-=]キーがあり、加算の場合は[+=]キーを加数の後に入力し、減算の場合は[-=]キーを減数の後に入力する。3-2+6を計算するとき、通常の電卓では3[-]2[+]6[=]と入力するが、加算器方式の電卓では3[+=]2[-=]6[+=]と入力する。乗算、除算の場合は通常の電卓と同じく[×]、[÷]キーを乗数または除数の前に入力し、[=]キーの代わりに[+=]キーを入力する。7×8÷2を加算器方式の電卓で計算する場合は、7[×]8[÷]2[+=]と入力する。
テンキー電卓
外見は通常の電卓とほとんど変わらないが、USBケーブルでPCに繋げることでテンキーとしても使用できる。また、電卓モードとテンキーモードを切り替えながら使うことで、計算結果をPCへ送信することも可能。なお、テンキー電卓には普通ルートキーは存在しない。この分野では多様な商品が発売されている。ポケットに入るような小型なもの、通常のテンキーのサイズのもの、卓上型電卓くらい大きいもの。さらには、付加機能として、ワイヤレスで接続できるタイプや、トラックボール機能を搭載し電卓、テンキー、マウスの1台3役の機能を持つものなどがある。
関数電卓
関数電卓は三角関数、対数など、主に科学・工学系の技術分野で必要な計算機能のある電卓[2]。関数電卓の登場によって計算尺が駆逐され、またたいていの計算では数表を繰る必要もなくなった。数学関数以外にも統計計算や2進計算、60進計算、分数計算などの機能を持つものが多い。通常の電卓と違い、数値が指数部を持っており、括弧の処理ができ、加減算より乗除算を優先する。表示桁以上の精度で計算し結果が丸められて表示されるため、機種によっては 1÷3×3 のように計算途中で誤差が発生する計算が表示上正しく表示される。簡易プログラム機能を有するものや、紙に書くような数式で表示されるものや、グラフ表示が可能なものもある。
プログラム電卓
テンプレート:Main 関数電卓のプログラム機能をさらに発展させた電卓。複雑な定型計算を複数記憶することができる。プログラム電卓からさらにコンピュータ寄りに進化したものが、ポケットコンピュータである。
グラフ電卓
関数電卓やプログラム電卓に数式処理やグラフ処理能力を加えたのがグラフ電卓である。関数電卓を電卓として更に進化させたものといえよう。関数電卓・プログラム電卓の基本機能に加え、数式処理やグラフ描写などを行う事ができる(グラフ描写しか行えない機種も存在する)。数式処理システムにより因数分解や微積分などの数式を直接計算することが可能であり(他の電卓は数値的にしか処理できない。グラフ電卓では数値的にも解析的にも取り扱える)、プログラム機能では数式処理に用いる組み込み関数を用いて高度なプログラムを簡単に組むことが出来る。入力もGUIから入力できるので初心者でも比較的簡単に扱え、CUI風の入力でも計算できるのでコマンドを暗記した上級者は更に簡単に扱えるわけである。しかも任意の精度で計算することが可能である(計算精度を設定可能)。このため科学技術分野などの高度な数学的計算を行うことに優れている。日本ではほとんど開発されておらず、おもにアメリカのテキサス・インスツルメンツなどが開発している。数式処理システムも参照のこと。
学習用電卓
小学校の算数の授業で用いることを目的に、他の電卓では関数電卓などにしか見られない有理数の機能などを持っており、余りのある除算や分数の加減乗除、約分や仮分数と帯分数の相互変換などを行うことができる。
計算ドリル内蔵電卓
一般の電卓は計算式を入力すれば自動で答えが計算されるが、計算ドリル内蔵電卓では計算ドリルモードにすると自動で計算式が表示され、暗算によって計算し、答えを電卓に入力しなければならない。携帯ゲームの一種とも言える。いわゆる百ます計算に対応している機種、脳年齢が測定できる機種なども存在する。
構成
形状
電卓は長方形の形状をしていることが多く、縦長が基本だが、事務用の一部や折りたたみタイプ・カードタイプのものには横長のものも存在する。表示部に傾きが付いていることが多く、傾き角度を変えることができるものもある。
電卓はサイズの違いによりそれぞれ名称が付いているが、メーカーによって名称が異なる。
- デスクタイプ・デスクトップタイプ - 概ね縦210mm、横150mm以上。
- セミデスクトップタイプ - 概ね縦200mm、横135mm程度。
- ジャストタイプ・ナイスサイズ - 概ね縦180mm、横110mm程度。
- ミニジャストタイプ・ミニナイスサイズ - 概ね縦145mm、横105mm程度。
- 手帳タイプ・ハンディタイプ・ミニミニナイスサイズ - 概ね縦120mm、横70mm程度。このサイズから「00」キーはなくなり、また「+」キーも他のキーと同じ大きさになる事が多い。
- 折りたたみ手帳タイプ - 概ね縦110mm、横90mm程度(開いたときの大きさ)。
- カードタイプ - 概ね縦90mm、横60mm程度。
極端に小さいものでは縦50mm程度で小判型のキーホルダーとなっている製品もある。
操作部
ごく初期には数字の桁毎に10個の数字キーを備えたものもあったが、現在ではすべてテンキー形式となっている。
キー配列はセミデスクトップタイプ以上では横に6列、ジャストタイプ以下では横に5列が標準で、縦はどの大きさでも6段か5段が標準である。
また、同じメーカーのものであれば、電卓のキー配列が大きく変わることは少ない。これは、キー配列が大きく変わるとユーザーが再度キー配列を覚えなおさなければならないことを考慮したためである。
記号
単純な加減乗除以外の機能を実行するためのキーが備えられている。
- M+ (Memory Plus): メモリ上の値に表示中の値を足して、メモリに記憶させておく。
- M- (Memory Minus): メモリ上の値から表示中の値を引いて、メモリに記憶させておく。
- GT (Grand Total): 総計。今まで出した合計の総合計が計算ができる。
- AC (All Clear): オールクリアの略で、メモリ以外の全て(一部電卓ではメモリも)を消す。
- C (Clear): 「AC」と違い計算又は数だけを消す。CE(クリア・エントリ [Clear Entry])となっているものもあり、その場合はオールクリアが「C」になっている。
- MC (Memory Clear): メモリクリアの略。メモリの記憶を全部消す。
- MR (Memory Recall): 現在のメモリの値を呼び出す(M+とM-で入れた数の合計)。
このような電卓の記号は電卓検定ではよく用いられている。
操作方法
電卓の操作方法は、四則演算については各メーカーとも共通だが、定数計算や百分率計算についてはカシオとシャープ、キヤノン、シチズン、HPなどのカシオ以外のメーカーや入力方式で大きく異なる。以下に操作方法の違いを挙げる。
カシオ | シャープなど | HP(逆ポーランド記法) | ||||
定数計算 2+3=5 6+3=9 |
3[+][+] 2[=] 6[=] |
K 3. K 5. K 9. |
2[+]3[=] 6[=] |
5. 9. |
3[Enter][Enter][Enter] 2[+] [CLx] 6[+] |
5. 0. 9. |
百分率計算 500の5%増しを求める |
500[×]5[%][+] | 525. | 500[+]5[%] | 525. | 500[Enter]5[%][+] | 525. |
カシオの場合、定数計算は加数、減数、乗数、除数のうちいずれかを先に入力し、それに対応する[+]、[-]、[×]、[÷]のうちのキーを続けて2回押すと定数計算モードになり、Kの文字が表示される。シャープなどの場合、通常通りに入力し、[=]キーを押すと自動で定数計算モードになり、加数(減数、被乗数、除数)が定数となる。
HPの場合、定数計算モードは存在しないが、Tスタックを定数の保持に利用することにより、加数、減数、乗数、除数を再設定することなく、そのまま加算/減算/乗算/除算が可能である。なお、定数による減算/除算を行う場合は、[x⇔y]でXレジスタとYレジスタを入れ替えればよい。
表示部
古くはニキシー管から蛍光表示管やLEDとなり、現在では液晶ディスプレイ表示のものがほとんどとなっている。7セグメント方式のものが多いが、ドットマトリクス表示の製品もある。
電源
初期の電卓は商用電源であったが、数字表示がニキシー管から蛍光表示管や LED となり回路の集積回路化が進むことによって消費電力が減り、乾電池での動作が可能となった。その後、CMOS 型集積回路と液晶ディスプレイ表示の採用により劇的に消費電力を抑えることに成功し、本体の小型化に合わせて使用する電池も単3型から単4型、ボタン型電池へと小型化された。さらには太陽電池の採用により、電池交換不要のものが多くを占めるようになっている。一部の太陽電池方式電卓にはボタン電池を内蔵したものがあり、低照度時の利用・次回使用時までのデータ保持を可能にしている。プリンター内蔵タイプでは乾電池やAC電源が必要となる。
歴史
電卓の歴史における重要なトピック
電卓の歴史の中で重要な点に、以下がある。
- 電卓の発展がトランジスタからIC、ICからLSIへと至る半導体の発展の歴史と歩調を合わせる形で進行した。
- 特に、従来のメインフレームやミニコンピュータの主流がTTLやECLであったのに対し、後にパーソナルコンピュータで多用されるようになるMOS ICの需要を先導した。
- 同時に1960年代後半から1970年代前半にかけて、電卓戦争と呼ばれる激しい価格破壊と技術革新による競争。
- 従来は、軍事・宇宙産業の需要や高価なコンピュータ向けの需要が中心であったICに膨大な民需をもたらし、半導体産業を一段と発展させるとともに、日本の半導体技術の向上にも影響を与えた。
- 電卓戦争の過程で、世界初のマイクロプロセッサであるインテル 4004が誕生した。
- 液晶や太陽電池が本格的に商業的に実用化された(シャープ)。
- 電卓の発展がその後の電子辞書や携帯情報端末 (PDA) に代表される携帯情報機器へとつながった。
- 低価格化が進みコモディティ化により、100円ショップ等でも販売されるようになった。
1960年代に登場した電卓は重量が20-30kgもある大型のものもあったが、その後、演算を行う素子を当初の真空管からトランジスタを経て集積回路へと世代交代させ、また表示装置も蛍光管やニキシー管から液晶パネルに置き換えることで急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量1kg程度で電池駆動も可能な電卓が現れ、1980年代になると太陽電池で駆動可能なカードサイズ大の超小型・超薄型の電卓も現れる。この時期はちょうど半導体産業が発展していく時期とも重なっている。
また、部品を小型化・高集積化することはコストを下げる効果もある。初期には軍事用など特殊な用途にしか使えなかったものも、次第に企業の業務用にも使えるものになり、さらには一家に一台、個人に一個という具合に身近に利用することのできる道具となった。この循環は、コンピュータや現在のパソコンにも見られる大きな要素である。
当初は個別の電卓製品毎に専用の集積回路を設計、製造していたが、日本計算器販売(のちのビジコン)がプログラマブルな電卓の開発を企図し、その過程でインテルがはじめて製作したマイクロプロセッサである4004が生み出された。その後、同社のプロセッサはパーソナルコンピュータのCPUとして世界に大きな影響を与えることになった。4004を用いた電卓はCPU、読み書き可能メモリ、プログラムを格納するROM、入力部であるキー、出力部である表示装置(およびプリンター)からなり、その構成はコンピュータそのものである。マイクロプロセッサを用いた電卓は、電卓に特化した専用のハードウェアを用いるのではなく、ハードウェアは汎用のものを利用し、プログラム(ソフトウェア)によって計算機の機能を実現している点で従来の電卓とは異なる。1971年に電卓市場に価格破壊をもたらしたTIのTMS-0105は、同様の構成をチップに集積したもので、マイクロコントローラの初期のものである。
この意味では、電卓はそれまでコンピュータに縁のなかった人々が初めて身近に手にしたコンピュータ製品であるという側面も持っている。
電卓以前
電卓以前の計算機械の歴史などについては計算機の歴史や機械式計算機の記事を参照のこと。ここではそれらであまり触れられていない点について述べる。
19世紀に機械式のキャッシュレジスターが発明され、店頭の代金の勘定のような簡単な処理が機械で行われるようになった。のちに電動化され、高級モデルは電動となる。
今日の電卓のような、ポケットに入る計算機器には、クルタのような特別に小型の機械式計算機の他に、計算尺やen:Addiatorのような器具があった。
電卓と同程度のスペックの機械としては、電子式以前にリレー式のものがあった。日本では、カシオ計算機がまず機械電磁式の計算機を開発するが商品化には至らず[3]、その後1957年に完成させた14-Aが最初に商品化されたリレー式の計算機である。これは机程度の大きさであった。リレー式の計算機はその後、タイプライタと連動し伝票を打ち出す「作表計算機」TUC、計算手順を自動実行できるAL-1など、電卓登場以前の一時代を築いた[3]。
大井電気はパラメトロンを使った計算機[4](筐体の1辺が500mm程)を作っており、1963年夏に試作完成させている。
電卓の登場 - 1960年代前半
1960年代に登場した電卓は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機だった。また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、1964年頃の製品は車1台分の値段だった。電卓は、1970年頃までは主に企業向けに販売された。1970年頃から激化した電卓戦争により価格が急激に下落し、個人でも手にすることのできる製品となった。
- 1963年 - 世界初の電卓 Anita Mark8(en)/英 Bell Punch and Sumlock-Comptometer(en)
- Mark8は真空管式の電卓。日本のメーカー数社はこれを輸入し分解・研究した。他にブラウン管表示のFriden EC-130がありそちらはトランジスタ。
- 1964年 - 日本の電卓元年。以下、特記あるものを除き、どれも(表示管などを除き)オールトランジスタである。
- シャープ(早川電機)がCS-10Aを3月に発表、1964年6月に発売した。価格は535,000円で、これは当時の普通乗用車1台分ぐらいである(当時はどの会社も総務部長決裁の上限額が50万円で、その目標は達成できなかったが、定価535,000円なら一割引で50万を切るからOKという次第[5])。テンキー式ではなく各桁毎に1~9の数字が並ぶフルキー方式だった。また、まだ試作品であったがソニーが MD-5 を新聞発表したのはCS-10Aのそれと同日であった[3]。なお、ソニーが「Sobax」として市場投入したのは1967年であった。(こういったものは、各社とも「完成」「公開」「発売」等のそれぞれで自社が早かったものをとりあげて「世界初」を謳うのが専らなので、注意が必要である)
- 同年5月のビジネスシヨウではキヤノンと大井電気(これは前述のパラメトロン式)も展示している。
- キヤノンには社内にレンズの光学計算という需要があった。前年に試作機を完成し、展示会で好評のため商品化に踏み切り、64年秋からCanola 130を販売した。同機はテンキー方式を採用し、現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。
- 前述の大井電気のパラメトロン式計算機は1964年4月から販売された。高価格(80万円)で消費電力が大きい(300W)という問題もあり、3号モデルまで改良されたが撤退した。[3]
- 1965年 - カシオも電卓に参入、カシオ001型を9月に発売、380,000円。同社のリレー式計算機と同様の定数機能を持っており、電卓では初。カシオは「究極のリレー式」と言えるようなモデルの開発を進めていたが、同年5月に代理店を集めて発表した際の代理店担当者の失望を見て、急遽試作中の電子計算機を見せ[6]、切り替えを決断。3箇月で電子式を完成させ製品化した。
- 1966年7月 - 日本計算器販売(1970年ビジコンに社名変更)、Busicom 161発売。記憶にトランジスタを直接使うのではなく、コアメモリを採用することで298,000円の価格設定に成功。価格の安さで大ヒット商品となり、たちまち電卓市場の10%のシェアを確保するが、三菱電機のダイオードの供給によって制限がかかり、それ以上シェアが伸びなかった[5]。
- 電卓市場に価格破壊の第1波をもたらす。ビジコンは電卓の風雲児として名をはせることになった。その後も洗練されたポータブルなポケット電卓を登場させたり、4004の開発にも関わるなど、異彩を放った。
ICの採用、LSIの採用 - 1960年代後半
この頃は、名称もまだ一定していなかった。「電卓」という語については日本国語大辞典が1970年の用例を収録している[7]が、その一方で1970年代前半の製品でも「電子計算尺」「電子ソロバン」といった名称のものがあった[8]。
- 1966年 - IC を一部採用した電卓が現れる。
- 電卓の価格引下げと小型化には従来のトランジスタとダイオードを用いた製品では限界があり、ここで IC が注目されることになった。IC を採用することで、部品点数を減らし、コストを低減することが可能になった。このようにICやLSIに多くの機能を集積し、高機能化と小型化・低価格を進めていく考え方は、現在のパーソナルコンピュータでも生きている重要な考え方である。
- 1967年 - アメリカのテキサス・インスツルメンツが携帯型電卓Cal-Techを開発。
- ICを使用し、重量1.28kgと従来の電卓に比べて小型化した。このときは商品化されず試作にとどまったが、1970年10月にCal-Techをベースに改良したものがキヤノンから製品化された (Pocketronic)。
価格破壊の進行 - 1970年代前半
価格の下落とともに、電卓は企業で使用される業務用計算機から個人が所有する身近なツールへとすそ野を広げていった。また、この過程で世界初とされるマイクロプロセッサのひとつで、インテルのCPUのルーツである4004、マイクロコントローラの先祖とされるTIのTMS1000、フェアチャイルドPPS25などが誕生している。
- 1969年 - シャープが世界初のLSI電卓「QT-8D」を開発。
- LSI4個、IC2個、幅135mm、奥行247mm、厚さ72mm、1.4kgで構成された(電池駆動はできない)。価格も99,800円と10万円を切ったことで、当時、爆発的なヒット商品になった。同時期はアメリカでアポロ宇宙船が人類初の月面着陸を実現した頃で、アポロ宇宙船に搭載された機器の集積回路に採用されたMOSをQT-8Dも使用したので、「アポロが生んだ電子技術」というキャッチフレーズがついた。このLSIの製造はロックウェル・インターナショナルが担当した。
- 1971年1月 - ビジコン ワンチップポケット電卓「BUSICOM LE-120A」発売。
- 1971年 - 電卓戦争が激化、価格破壊の波が押し寄せる。
- 米テキサス・インスツルメンツ (TI) のLSI「TMS-0105」を採用した電卓が登場した。TMS-0105は、4ビットMPUとメモリであるRAMやプログラムを格納するROMをワンチップ化した製品であるTMS1000シリーズに電卓用のプログラムを搭載したもので、マイクロコントローラの祖先にあたる。キー入力処理から演算、表示制御までを1つのLSIでこなせる製品だった。このため、ちょっとした製造技術があれば、キーと表示装置と電源をつけることで簡単に自作の電卓が作ることができるようになった。ちょうど、自作パソコンを作るのと似たような感覚である。このLSIの登場で、電卓の組み立てと販売だけを手がけるメーカーが乱立し、電卓の価格は一気に半減し、電卓市場の価格破壊が進んだ。当時、立石電機(現在のオムロン)が5万円を下回る電卓を発売し「オムロンショック」と呼ばれた、という記述も見られる。
- 1971年10月 - ビジコン 141-PF発売。
- 1972年 - ヒューレット・パッカード HP-35。
- ポケット関数電卓。この年カシオも同社初の関数電卓FX-1を発売(ポケットサイズではないが)。関数電卓により、機械式計算機に続き計算尺も置き換えられてゆくことになる。
- 1972年8月 - カシオ カシオミニ、12,800円。
- 低価格でパーソナル向けで大ヒットした。電卓の価格破壊とパーソナル化を象徴する製品。発売から1年5ヶ月ほどの間に200万台販売し、電卓は個人でも手軽に手にすることのできる時代となった。この後も、電卓の価格破壊は進み、1975年には5,000円を下回るようになった。この間に価格下落に伴うメーカーの撤退や倒産が相次ぎ、市場淘汰が進んだ結果、シャープ、カシオなど主だったメーカーに集約された。
高付加価値化 - 1970年代後半
価格下落が一段落してくると、価格競争とは別に使い勝手をよくする高付加価値化の方向でさまざまな試みが行われ、実用化されていった。液晶の採用、超小型化・薄型化(カードサイズ電卓)、太陽電池の採用、高機能化(電子辞書、電子手帳、後には携帯情報端末 (PDA)へと発展した)などがある。
- 1971年 - ビジコンが世界初の液晶表示を採用したLC-120を1月に発表。しかし液晶の安定化に手間取り、製品化されることはなかった。
- 1972年 - ビジコンがLE-120Gを発売。ハードウェアはLE-120Aと同等仕様だが、筐体に純金メッキを施した装飾品として販売された。このころから装飾としての付加価値をビジコンは模索していたらしく、同年三越デパート向けにLE-120Tという円形の装飾電卓を「はんさむこんぴゅうたぁ」という愛称で発売している。
- 1973年 - シャープで、鷲塚諫を中心とするグループが、液晶を表示装置に使った本格的な電卓、EL-805「エルシーメイト」を開発、商品化。
- この頃には、電卓は重量わずか 200g と、初期の20kg-30kg もある電卓や1970年頃の1kgぐらいのポータブル電卓の時代から比べても一段と小型軽量化した。また、低消費電力化が進んだことで電池でも長時間の駆動ができるようになっていった。
- 1974年 - プログラム可能な電卓 HP-65。
- 1976年 - 太陽電池を搭載した電卓が現れる。
- シャープ EL-8026。こちらは、充電式のボタン電池と併用するタイプの電卓。その後、太陽電池だけで駆動可能な電卓も現れた。
- 1976年 - 米テキサス・インスツルメンツ (TI) TI-30 25$
- 世界で最も多く販売された電卓と紹介されている。電圧 9V で駆動する関数電卓。→ TI-30(Wikipedia英語版)
- 超小型、薄型の電卓の登場。
- 1978年 - カシオ 名刺サイズ電卓「カシオミニカード」(LC-78) 発売。厚さ3.9mm、
- 1979年 - シャープ EL-8152。36g、厚さ 1.6mm。
- 1985年には厚さ0.8mm、重さ11gの電卓も出ている。すでに実用上の限界の域に到達した。
- 1980年 - カシオ MG-880「デジタルインベーダー」で「ゲーム電卓」のジャンルを新たに築く。当時の電子ゲーム流行の波に乗り、大手電卓メーカーから多数のゲーム電卓がリリースされた。
- 高機能化
現代 - 1990年代以降
完全にコモディティ化する。
- コンピュータのソフトウェアに「電卓」が現れる。小物アプリケーションとして、GUI環境のデスクトップという「卓上」で使われる。またそれにより携帯情報端末など持ち運べるコンピュータが電卓代わりになる。
- 携帯電話端末にも電卓機能を備えるようになった。
- オフィス等において表計算ソフト等を使う機会が増え補助的に使われることが多くなりマウス、テンキー機能を搭載したものが発売されるようになった。
- 低価格化が進み日本メーカーでは海外生産品がほとんどとなり、100円ショップなどでもソーラー電池搭載モデルが販売されるようになった。
関連項目
機種関係
- タイガー計算器 - 国産手動式計算器の第1号(最初は「虎印計算器」)
- 電卓 (Windows)
- 計算機 (Macintosh)
- KCalc
- GCalctool
- 7セグメントディスプレイ
- 太陽電池
- 計算尺
- そろばん、アバカス
- ポケットコンピュータ
- メインフレーム - 電卓以前の電子式計算手段の一つ
- コンピュータ
- 情報機器(携帯情報端末 / PDA)
- ゲーム電卓
- ゲーム&ウォッチ - 発明者である横井軍平が新幹線の中で暇潰しに電卓のボタンを押して遊んでいる人を見て、このゲームを作るきっかけとなった。
操作
人物
- 小川真奈 - コレクションしたり電子レジまで買ってしまうほどの電卓好きアイドル。特に、キーを押したときのメーカーごとの感触の違いについては一家言を持つ。
- 重原佐千子 - 電卓名人として知られるフリーアナウンサー。
その他
- 福山自動車時計博物館 - キヤノンcanola161、シャープMICRO COMPET を所蔵。
一覧
脚注
外部リンク
テンプレート:Computer sizesテンプレート:Link GA- ↑ たとえば、クラフトワークの楽曲では、邦題「電卓」英題「Pocket Calculator」である。
- ↑ 関数電卓マニアの部屋
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 産業技術史資料情報センター「電子式卓上計算機技術発展の系統化調査」(PDF)
- ↑ テンプレート:Cite web(英語)
- ↑ 5.0 5.1 NHKスペシャル 『電子立国日本の自叙伝』 第4回 「電卓戦争」
- ↑ 「~系統化調査」では無事に動いたとしているが、「~かく戦えり」では表示が点いたり消えたりと散々だったとしている
- ↑ 日本国語大辞典が示している用例は、加藤秀俊『生きがいの周辺』より
- ↑ 『愛しの昭和の計算道具』 p. 178