アラビア数学
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アラビア数学(アラビアすうがく、Arabic mathematics)とは、8世紀から15世紀のイスラム世界において、主にアラビア語を用いて行われた数学全般のことである。近年ではイスラム数学 (Islamic mathematics) と称される場合もある[1]。名称は慣例によるものであって、必ずしも明確に対象を表しておらず、アラブ地域外でも行われ、担い手にはアラブ人でない者もイスラム教徒でない者もいた。
概要
アラビア数学は、ギリシア数学やインド数学の影響を受け発展し、アルフワーリズミー、バッターニーなど多数の数学者を輩出した。
ヨーロッパ古典古代からの影響としては、焚書されたギリシア語の著書をアラビア語に翻訳し、ユークリッド幾何学を引き継いだ。厳密な論証も引き継がれた。
インドからの影響としては「0(ゼロ)の概念」や「位取り記数法」が挙げられる。なお、算用数字は一般に「アラビア数字」とも呼ばれるがアラビアで用いられている数字(ヒンディー数字)とは異なっている(ただし「ヒンディー数字」はインドで用いられている数字とも異なるものである)。
アラビア数学独自の功績としては、代数学の発展が挙げられる。当時は記号を使った数式表記が発明されていなかったため、計算方法は全て言語によって説明されている。
アラビア数学は後年ラテン語に翻訳されヨーロッパに伝わった。
主要な数学者の一覧
- フワーリズミー(780年 – 850年)
- キンディー(801年 – 873年)
- フナイン・イブン・イスハーク(808年 – 873年)
- サービト・イブン=クッラ(835年 - 901年)
- バッターニー(853年 – 929年)
- アル=アストゥルラービー(940年 - 1000年)
- アブル・ウワファ(940年 - 998年)
- イブン・ユーヌス(950年 - 1010年)
- イブン・アル・ハイサム(965年 - 1040年)
- アブー・ライハーン・アル・ビールーニー(973年 - 1048年)
- イブン・スィーナー(980年 - 1037年)
- アッ=ザルカーリー(1028年 - 1087年)
- ウマル・ハイヤーム(1048年 - 1131年)
- ナスィールッディーン・トゥースィー(1201年 - 1274年)
- イブン・アル=シャーティル(1304年 - 1375年)
- ウルグ・ベク(1394年 - 1449年)
脚注
関連項目
テンプレート:数学- ↑ 例えば、カッツ著、上野健爾他訳『数学の歴史』共立出版 ISBN 432001765X では「イスラム数学」である。