漢字復活論

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漢字復活論(かんじふっかつろん)とは、もともとは漢字文化圏にあったが漢字廃止論により漢字をいったん破棄した国の漢字を見直す機運、主張を指す。ここでは漢字を廃止したベトナム北朝鮮、普及度が低い韓国の状況について述べる。

韓国

韓国では、建国直後の1948年ハングル専用法が制定され、公文書における文字ハングルのみに限定され、ただし当分の間漢字の使用を認める、と定められた。このため、公文書や教科書においては、漢字の使用はハングルの後カッコにくくって表記する「併用」方式に制限されることとなった。

また、朴正煕政権(第三共和国)下の一時期(1968年 - 1972年)、政府が学校教育カリキュラムから漢字教育を追放し、マスメディアにもハングルのみの表記を強く要求するなどの漢字排斥政策を進めた(日本語でいうとかな表記のみに相当する。但し朝鮮語には閉音節があるため、日本語のかな表記よりも朝鮮語のハングル表記の方が一音節あたりの弁別性が高い)。その際、漢字存続を主張した大学教授が職を追われる事件も起きた。これに対し学界や言論界が正面から反対運動を展開したため、中等教育での漢文教育は容認されるようになったが、その後も漢字教育への関心は低調だった。

しかし1990年代後半以降、一部に漢字存続の主張が強まり、漢字を理解する外国人観光客の利便性を理由に道路標識の地名表記に漢字が併記されるようになるなど、いわゆるハングル専用の徹底度は若干弱まっている。1998年には、漢字教育振興会を発展的に解消し、全国漢字教育推進総連合会が結成された。指導者は李在田。朴正熙時代の陸軍参謀総長である。

全国漢字教育推進総連合会は、次のような主張を掲げる。

ただし、日本の文部科学省に相当する教育部(現:教育科学資源部)は、ハングル専用派の主張を考慮して要求を受け入れなかった。そこで、国防長官が李在田の陸軍士官学校での後輩に当たることに目を付け、徴兵された若者に軍隊の中で漢字学習と漢字使用を義務付ける準備をしていた。が、2004年の李在田の急逝を受け、この計画は暗礁に乗り上げた。

また、2005年国語基本法が制定され、公文書における漢字のカッコ内使用は、大統領令が定める場合に限定されることとなった。

2009年2月、首相経験者が連名で小学校からの漢字教育義務付けを建議。それまで漢字教育の是非は学校単位で判断され、課外授業として実施されただけだったが、ソウル特別市江南区では、教育庁が主導して、区内の小学校に漢字教育を義務付けた。「同音異義語の意味が分かるようになった」と児童からは好評だと言うが、ハングル学会は「ハングルは世界に誇る科学的文字」「漢字は特権層の反民主的文字」「ハングル専用で不便を感じる韓国民はいない」と漢字教育強化に反対する姿勢を示している。

韓国政府は、「漢字を教えろとは言わないし、教えるなとも言わない」と廃止・存続いずれの立場にもくみしない姿勢を示している。すなわち、漢字復活の問題は政治問題として取り上げられるべきものではなく、あくまで国民個人の問題にすぎない、としている。そのため、小学校でも校長裁量で漢字を教えることは認められているが、漢字教育に消極的な校長は、自由裁量時間をコンピュータテコンドーの時間に充てている。また、積極的な校長でも、市販の教材で漢字教育を行うことになるため、韓国民は出身校によって漢字能力に濃淡が出ることになる。この背景には、現在教育現場の最前線にいる世代が最も漢字教育を受けていない世代に当たることが最も大きな要因とされており、漢字復活をより困難なものにしている。

韓国の大学では、学部別で学長の裁量で卒業資格に漢字試験の資格が要求される場合が多い。そのレベルは大学ごとに異なり、おおよそ2級(2000-2800字)から3級(1000-1800字)が通過に必要な漢字数である。また、近年中国へ進出する企業が急増したことを受けて、入社試験に漢字試験を課したり、資格保有者を優遇する企業が増えている。

現在、韓国で日常的に漢字混用をする出版物は漢文関係の書籍を除けば仏教、法学書籍などに限定されている。

北朝鮮

北朝鮮における漢字に対する姿勢は、金日成の以下の見解が全てである[1]テンプレート:要出典

「漢字を使う必要はない。しかし、中国や日本・南朝鮮では漢字を使用しているため、漢字を学習する必要はある。」

金日成の見解に基づき、1948年の建国以来廃止されていた漢字教育が、1968年に「漢文」教育として高等中学校の教科に組み込まれた。その内容について確証の取れる情報はないが、韓国の漢字復活派によれば、漢字をきっぱり廃止したはずの北朝鮮の方が、漢字を廃止するでもなく存続させるでもない韓国の「漢文」教育よりも充実しているという。

北朝鮮では一般に漢字は用いられず、新聞チョソングル専用で漢字は全く用いられないが、現在でもほとんどの人名には対応する漢字が想定されている。人名や地名の漢字表記は外国語表記として存在する。なお、毛沢東から金正日に贈られた漢詩では、簡体字が用いられた。

1948年の漢字廃止と同時に、朝鮮語における漢字語固有語に言い換える運動が大々的に行われたが、1960年代からその運動がなくなり、現在も北の朝鮮語の語彙の上では多くの漢字語が残っている。

ベトナム

17世紀フランスカトリック宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロードが考案したベトナム語ローマ字転写法が、19世紀後半のフランス植民地化以降「クオック・グー(国語)」と呼ばれるようになって普及し、1919年科挙廃止の要因もあって漢文の使用領域が狭まったため、次第に漢字使用は減少した。1945年ベトナム民主共和国成立後、北部では公教育における漢字教育が実質的に消滅したが、南ベトナムでは1975年まで中等教育に「漢文科」が存続していた。1960年代後半のベトナム民主共和国では、漢字語を固有ベトナム語に言い換える運動が推進された。

現代のベトナムで、漢字復活の主張もない訳ではない。ホーチミン市国家大学の高春灝(こうしゅんこう、カオ・スアン・ハオ)教授(言語学)は、「言語学的にはベトナム語のローマ字表記は適切ではなく、漢字と字喃を捨てたことは、文化的損失だ」と述べ、中学校・高等学校での漢字教育の義務付けを主張しているテンプレート:要出典

脚注

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関連項目

  • テンプレート:Cite web