松音知駅

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ファイル:Matsuneshiri eki.jpg
1977年の松音知駅と周囲約500m範囲。上が中頓別方面。貨物取扱廃止及び無人化後で、側線は全て撤去され駅舎ホーム側へ棒線化されている。ここも木材搬出駅で、かつては駅裏のストックヤードに沢山の木材が野積みされていた。取り扱う貨物がなくなり、ヤードが使用されなくなって、踏切の位置も駅近くに設置し直されている。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

松音知駅(まつねしりえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡中頓別町字松音知にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号マネ。天北線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。

駅構造

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北西側(南稚内方面に向かって左手側)に存在した[1]分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。

無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の北西側に位置しホームに接していた。構内は周囲より高台に位置していたため駅舎は高床式[2]になっており、駅前広場から駅舎出入口まではかなり痛んだ木の階段を上る必要があった[1]

駅名の由来

当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「マツ・ネ・シリ」(女の山)に由来する。附近に二つの目立つ山があり、それぞれ「マツ・ネ・シリ」、「ピン・ネ・シリ」(男の山)と呼ばれていた。

駅周辺

山の中にあった[1]

歴史

  • 1916年(大正5年)10月1日 - 国有鉄道宗谷線小頓別駅 - 中頓別駅間延伸開通に伴い開業。一般駅
  • 1919年(大正8年)10月20日 - 線路名を宗谷本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し線路名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる。
  • 1961年(昭和36年)4月1日 - 線路名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる。
  • 1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物取扱い廃止。交換設備撤去。同時に無人化。
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
  • 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の廃線に伴い廃止となる。

利用状況

乗車人員推移[4]
年度 1日平均人数
1921 62
1935 31
1953 82

駅跡

ファイル:Tenpokusen matsuneshiri.jpg
保存されている松音知駅(2011年8月5日)

1997年(平成9年)時点では地元住民曰く「個人の別荘」になっており、駅舎、ホーム、レール腕木式信号機が残されほぼ現役当時の姿を保っていた[5]。2010年(平成22年)時点でも同様で、この時点で唯一の現存する駅舎となっていた[6]。2011年(平成23年)時点でも同様であったが、地元の人々による保存で、駅舎は模擬展示とのことである[2]。開口部は模造で、舎内に立ち入る事は不可能となっている[2]

隣の駅

北海道旅客鉄道
天北線
周磨駅 - 松音知駅 - 上駒駅

脚注

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関連項目

テンプレート:天北線
  1. 1.0 1.1 1.2 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)188ページより。
  2. 2.0 2.1 2.2 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)244-245ページより。
  3. 3.0 3.1 3.2 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)16ページより。
  4. 中頓別町史 平成9年5月発行 P397/8,855
  5. 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング1997年12月発行)24-25ページより。
  6. 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)15-17ページより。