租界
租界(そかい)とは、清国(のちに中華民国)内の外国人居留地である。阿片戦争後の不平等条約により中国大陸各地の条約港に設けられた。行政自治権や治外法権をもつ。
概要
「租」とは年貢や田賦のことで、租借地・租界とは税を取って借す領域、あるいはより狭い区域[1]のこと。租借料が支払われることを想定した用語であるが、実際にはそれぞれの条約によった。中国の場合、アロー号事件のさいイギリスは清国政府から九龍半島を年500銀で租借したものの半年後の北京条約で割譲となり、それ以降に設定された租借地においても租借料の支払いは無くなった。一方で租界は、通常は都市などのより狭い一部区域に設定されるもので、永代借地契約であって地主や中国政府に地代を支払う必要があった。治外法権を与えず、単に外国人の居住や経済活動を保護する目的で設定された領域には「商埠地」や「公共通商場」などがあった。
日本の外国人居留地とは居住と移動を制限する目的のものであり、その領域に治外法権を設定するものではない。日本では正確には「治外法権」が条約されたことはなく、領事裁判権が認められただけであったが、やはり列強の強要により無視され治外法権的取り扱いがおこなわれていた(→領事裁判権)。
租界
最も有名なものに上海の共同租界やフランス租界があるが、天津にも多数存在し、その他の開港場にも設けられた。20世紀の近代中国における列強の半植民地支配の拠点であった。
大きな租界では工部局と称する自治行政組織が住民から住民税や営業税などの租税を徴収して道路や水道建設、警察、消防などの行政を行った。上海の工部局が有名である。小さな租界では租借国の領事が行政を担当した。また、通貨や債権を発行していた租界も存在する。
租借地
租界と類似した行政上の形態(および地位)に租借地がある。日本の関東州(大連)やドイツの膠州湾(青島)、フランスの広州湾(湛江)のような租借地は租借国の領土と変わらず、租借国が外国人だけでなく、中国(清国、その後は中華民国)人住民に対する裁判権も行使し、戦時には軍事基地ともなったが、租界では原則として中国人住民に対する裁判権は中国側が行使し、中立を原則とし軍事基地として使用することはできなかった。また、租借地は有期契約とされたが租界は無期限契約とされる場合が多かった。テンプレート:Main
共同租界
共同租界(きょうどうそかい)とは、複数の国家が共同で租界権を有した租界のこと。上海租界が有名であるが、鼓浪嶼(廈門市)にも設けられた。⇔ 共同租界に対して、単一の国家が租界権を有した租界のことを専管租界と言う。
中国租界一覧
- 上海 イギリス租界、アメリカ租界(後に合併して共同租界)、フランス租界、日本租界(正式なものではなく、あくまで「自称」である)
- 天津 日本、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、オーストリア、ベルギー、ロシア、イタリア租界
- 漢口 日本、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア租界
- 広州 イギリス、フランス租界
- 鎮江 イギリス租界
- 九江 イギリス租界
- アモイ イギリス租界、共同租界(鼓浪嶼)
- 杭州 日本租界
- 蘇州 日本租界
- 重慶 日本租界
脚注
- ↑ KO字源「租」