化学防護車
テンプレート:戦闘車両 化学防護車(かがくぼうごしゃ)は、核兵器や化学兵器が使用された状況下において、放射線や汚染状況を調査、測定するNBC偵察車両である。82式指揮通信車を改設計して開発され、1987年(昭和62年)に制式採用された。平成21年度までに30両以上が導入され[1]、主に陸上自衛隊の中央特殊武器防護隊(大宮駐屯地)、各師団および旅団内の化学防護小隊などに配備されている。小松製作所製造、平成21年度における調達価格は約2億円[2]。
特徴
各部の密閉度を上げ、空気浄化装置を装備することで乗員を外部の汚染から守り[3]、車外の放射線の測定や毒ガスの検知が可能になっている。定員は4名であるが、操縦士と測定員2名での運用が標準と推測されている[3]。測定機器として、GSM-4ガスサンプラー(化学物質測定用)、地域用線量率計3形(放射線測定用)や携帯測定機器が搭載されている[3]。また、車体後部にはマニピュレーターが備えられており、汚染された土壌のサンプルを採取できる[3][1]。このほか、気象測定装置や汚染地域を可視化するマーカーとして、黄色三角旗の投下機を備えている[3][1]。
総重量が82式指揮通信車に比べて重くなったため、最高速度は低下している。自衛用に12.7mm重機関銃M2 1丁を車体後部に有し、73式装甲車や96式装輪装甲車で採用された物と同じく車内からの遠隔操作が可能で、乗員を外気に晒すことなく使用できる。
1999年(平成11年)に発生した東海村JCO臨界事故での教訓から、中性子防護板(中性子線対応)が開発され、原子力災害時など必要に応じて車体前面に取り付けることができる[3]。また、1999年(平成11年)度以降に取得した車両は化学防護車(B)となり、車体側面に装備していた風向センサが起倒式になり、車体後部天井に置かれている。長らく自衛隊の車両は緊急車両として扱われることがなかったが、化学防護車は緊急車両として認められ、赤色灯、サイレンが装着されるようになった。
細菌などを検知する能力はないため、生物兵器の検知には生物偵察車が用いられる。
- JGSDF Chemical Reconnaissance Vehicle 20120108-01.JPG
化学防護車(B)
- JGSDF CRV.jpg
後部ハッチの右側にマニピュレーター
- JGSDF Chemical Reconnaissance Vehicle 03.jpg
マニピュレーターの先端
予算計上年度 | 調達数 | 予算計上年度 | 調達数 |
---|---|---|---|
昭和60年度(1985年) | 1両 | 平成10年度(2009年) | 1両 |
昭和61年度(1986年) | 2両 | 平成11年度(2009年) | 1両 |
昭和62年度(1987年) | 2両 | 平成12年度(2009年) | 3両 |
昭和63年度(1988年) | 3両 | 平成13年度(2001年) | 2両 |
平成 1年度(1989年) | 3両 | 平成14年度(2002年) | 2両 |
平成 2年度(1990年) | 2両 | 平成15年度(2003年) | 2両 |
平成 3年度(1991年) | 1両 | 平成16年度(2004年) | 2両 |
平成 4年度(1992年) | 1両 | 平成17年度(2005年) | 2両 |
平成 5年度(1993年) | 1両 | 平成18年度(2006年) | 2両 |
平成 6年度(1994年) | 1両 | 平成19年度(2007年) | 1両 |
平成 7年度(1995年) | 2両 | 平成20年度(2008年) | 3両 |
平成 8年度(1996年) | 1両 | 平成21年度(2009年) | 4両 |
平成 9年度(1997年) | 2両 | 合計 | 47両 |
出動実績
これまでの活動は主に第101化学防護隊と、その後身である中央特殊武器防護隊により行われている。本車両は、1995年(平成7年)に発生したオウム真理教による地下鉄サリン事件の際に初めて出動し、物質特定などを行った。東海村JCO臨界事故の際も現場近くに待機したが、活動は行われてはいない。2011年(平成23年)の福島第一原子力発電所事故でも中央特殊武器防護隊所属車両が派遣されている[3]。
後継車両
後継車両として化学防護車と生物偵察車を一本化してNBC偵察能力を高めたNBC偵察車が2010年(平成22年)度から調達されている。
登場作品
- 実写作品
- 『ULTRAMAN』
- 『ガメラ2 レギオン襲来』
- アニメ作品
- 『MEMORIES』
- 大友克洋監修のアニメ映画、『最臭兵器』に登場。
- 42話の偵察時に登場。