林田藩
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林田藩(はやしだはん)は、江戸時代、播磨国揖東郡にあった藩。藩庁として林田(現・兵庫県姫路市林田町聖岡)に林田陣屋が置かれた。表高は1万石。
略史
豊臣政権下で尼崎郡代700石であった建部光重の子・政長が藩祖。政長は池田輝政の養女(下間頼龍の娘)を母とする池田氏一族。池田利隆・忠継兄弟の幕下の大坂の役で戦功を挙げ、元和元年(1615年)伯父の池田重利とともに摂津川辺郡・西成郡尼崎藩1万石を与えられ大名に取り立てられた。元和3年(1617年)、宗主である姫路藩主池田氏の転封により林田に移り、林田藩が成立した。
建部氏は外様大名でありながら、明治維新まで10代政世まで250年余りに亘り林田藩を治めた。また3名の藩主が大番頭となっている。中でも、3代・政宇は伏見奉行になり、後に寺社奉行にもなっている。
7代・政賢は寛政6年(1794年)藩校・敬業館を開いた。9代政和は大番頭として京都、二条城守護に就き、藩校敬業館振興のため、藩校の講師に河野鉄兜(こうの てっとう)を迎えた。この敬業館の講堂は文久3年(1863年)に焼失ののち復興。講堂は現存しており平成4年(1992年)姫路市指定文化財に指定されている。
林田藩は明治4年(1871年)廃藩置県により林田県となる。その後、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入された。その後建部氏は明治17年(1884年)子爵となり華族に列せられた。
歴代藩主
- 建部(たけべ)家
外様 1万石 (1617年 - 1871年)
- 政長(まさなが)〔従五位下、丹波守〕
- 政明(まさあき)〔従五位下、丹波守〕
- 政宇(まさのき)〔従五位下、内匠頭 寺社奉行〕
- 政周(まさちか)〔従五位下、丹波守〕
- 政民(まさたみ)〔従五位下、丹波守〕
- 長教(ながのり)〔従五位下、近江守〕
- 政賢(まさかた)〔従五位下、内匠頭 大番頭〕
- 政醇(まさあつ)〔従五位下、内匠頭 大番頭〕
- 政和(まさより)〔従五位下、内匠頭 大番頭〕
- 政世(まさよ)〔従五位下、内匠頭〕
幕末の領地
郡名 | 村名 | 石高 | M22市制町村制施行 | 現在 |
---|---|---|---|---|
揖東郡 | 紀美村[1] | 437.966705 | 大津村 | 姫路市大津区 |
矢田辺村 | 690.187195 | 太田村 | 揖保郡太子町 | |
東南村 | 578.504028 | |||
中太田村[2] | 1624.205811 | |||
東保出屋敷村 | 224.317993 | |||
東保村 | 591.226990 | |||
平方村[3] | 70.679001 | 龍田村 | ||
柳村[3] | 286.575012 | |||
野部村 | 291.645294 | 神岡村 | たつの市(旧龍野市)神岡町 | |
田中村 | 466.634308 | |||
寄井村 | 558.398193 | |||
沢田村 | 973.760071 | |||
入野村 | 618.599792 | |||
宿村[4] | 473.514893 | |||
横落村[5] | 1807.033569 | |||
筒井村 | 212.427002 | |||
奥村 | 118.490700 | |||
構村 | 1085.124878 | 林田村 | 姫路市林田町 | |
六九谷村 | 902.320801 | |||
奥佐見村 | 638.442505 | |||
大提村 | 213.481995 | |||
松山村 | 653.634705 | |||
下野村 | 402.971008 | 新宮村 | たつの市(旧揖保郡新宮町) | |
北村 | 291.467712 | 越部村 | ||
橋崎村[6] | 678.061707 |
脚注
関連項目
参考文献
- 『藩史総覧』 児玉幸多・北島正元/監修 新人物往来社、1977年
- 『別冊歴史読本㉔ 江戸三百藩 藩主総覧 歴代藩主でたどる藩政史』 新人物往来社、1977年
- 『大名の日本地図』 中嶋繁雄/著 文春新書 2003年
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