椎名桜子

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椎名 桜子(しいな さくらこ、1966年2月22日 - )は、日本小説家写真家成城大学中退。

プロフィール

バブル景気最中の1988年マガジンハウスから『家族輪舞曲(ロンド)』を上梓し、小説家としてデビュー。翌1989年に『家族輪舞曲』が映画化された際には自ら監督を務めた。

少女時代はモデル業もしており、1980年代グリコ協同乳業ヨーグルトコマーシャルに出演している。また、作家デビュー前には自主映画制作サークルに双子の妹・椎名桂子ジャーナリスト)とともに所属してその作品に出演していた[1]。自主映画の監督を務めたこともあり、監督作品である「恋は他人の血の味」は1982年の成城学園高校の学園祭にて上映された。

作家としてメディアに注目された時期は短かったが、その後は趣味のダイビングを生かした水中写真家となったり(一時期、「パシフィックジャパン水中映像協会」の理事であった)、妹と「(株)にじゅうに」という出版社を経営していた。

2007年の雑誌記事では、東京都世田谷区成城に在住し、夫と二人の子どもとの4人暮らしと記載された[2]。この記事の当時は成城学園前駅ビルの「成城コルティ」内にある生活雑貨店をプロデュースしていると紹介されていたが[2]、2009年には週刊誌で2008年春に辞任したと報じられた[3]。同じ記事では、夫と共同で運営する個人事務所の家賃を滞納したため、裁判の結果退去したとも伝えられている。

作家デビューの経緯

椎名は『家族輪舞曲』発表前年に、同じマガジンハウスの雑誌『an・an』に「作家」という肩書きでルポを連載した[4]。それと並行して「名前・椎名桜子 職業・作家 ただ今処女作執筆中」なるキャッチコピーで広告展開をおこなったとされる。発売時の1988年3月24日の全国紙に掲載されたマガジンハウスの広告では「22歳大型新人の書き下ろし処女作。新たな青春文学の誕生」と紹介された。

マガジンハウスはこの年から単行本出版に進出したばかりであった。文壇に伝手を持たなかった同社が会社を挙げて椎名を売り出したことは同年12月の新聞記事に言及があり、記事中で同社の書籍出版部編集長は「本は8万部出ました。処女作としては成功といっていいでしょう。ただ、文学の正統をいく彼女の作品が批評家らにほとんど無視されたのは残念でした」とコメントしている[4]。その後まもなく、同作は本人の監督によって映画化されることとなった。

映画『家族輪舞曲』は1989年11月に公開されたが、配給収入は6千万円台にとどまり[5]、映画評論家等からの評価も芳しいものではなかった。</br> その後出版された著作は『家族輪舞曲』ほどの話題を集めることはできず、文芸界の一線から退いた。

『噂の真相』に対する訴訟

雑誌『噂の真相』において椎名を取り上げた記事で、自分と二人の子どものプライバシーを侵害され、また「ゴーストライター疑惑がささやかれた」などと記載されて名誉を毀損されたとして、総額2200万円の損害賠償を求める訴訟を東京地方裁判所に起こした。2004年3月26日の判決では「一般的に知られていない私生活の部分を公開する公共性は見いだせない」「ふしだらな女性作家との意見や論評は行き過ぎだ」として、プライバシー侵害ならびに名誉毀損を認め、『噂の真相』側に330万円の支払を命じた。この中には当時幼児であった二人の子どもに対するプライバシー侵害分55万円が含まれており、椎名の代理人によると「幼児のプライバシー侵害を認めた初めての判決」であるという[6]。その後控訴が行われたかどうかについては不詳である。

著作一覧

  • 家族輪舞曲(1988年、マガジンハウス)
  • agua de beber おいしい水(1989年、マガジンハウス)
  • それでもわたしは白い服がほしい(1989年、マガジンハウス) - エッセイ集
  • さとる(1991年、あすなろ書房) - 絵本(絵:内田春菊
  • 彼との間柄(1997年に中日新聞に連載した育児エッセイ)
  • 水中写真&エッセイ The Stranger in Paradise

テレビ出演

広告への出演

脚注

テンプレート:Reflist

  1. http://members.at.infoseek.co.jp/chamegong/lcc/lcc.html
  2. 2.0 2.1 エイ出版社『世田谷ライフマガジン』No.21(2007年7月)。下記の『噂の真相』に対する訴訟の判決では、当該記事の掲載以前に椎名がシングルマザーであることを自ら公表していたと認定されている。現在の夫と子との関係は明らかにされていない。
  3. 週刊新潮』2009年7月23日号
  4. 4.0 4.1 「文芸書”復興”の背景(出版界88)」朝日新聞1988年12月5日
  5. 『映画年鑑 1991年版』(共同映画通信社)、P127
  6. 朝日新聞2004年3月27日