高山郁夫
テンプレート:Infobox baseball player 高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
アマチュア時代
秋田商業高校では、2年夏の選手権大会に出場。3年春の選抜大会では140km/h近い速球を投げ[1]、1回戦では玄岡正充を擁する鹿児島商工に4安打1失点で完投勝利した[2]。チームにとって19年ぶりとなった準々決勝では帝京の伊東昭光と投げ合い、5安打2失点で完投したものの0対2で敗れた[3]。
一方で対帝京戦の途中で右足に激痛が走り、大会終了後に診察を受けたところ親指つけね付近の骨が砕けている事がわかった[4]。手術が必要なものの従来通りの投球ができなくなる可能性もあって悩み、1年生の頃から面識のあった根本陸夫に相談したところ、プリンスホテルに入社して手術とリハビリを行なう事を勧められた[4]。何年でも待つという根本の言葉に感銘を受け[4]、同年のドラフト会議前には西武以外から指名を受けた場合はプリンスホテルに進む事を明言している[5]。
3年春の県大会はこのケガのため出場しなかったが、夏の県大会には復帰し[1]、選手権大会に2年連続で出場。本大会では最高149km/hの速球を投げ[6]、大会屈指の好投手と評された[7]。ドラフト会議では日本ハムから1位指名を受けたが、事前の発表通り入団を拒否し、11月30日に三沢今朝治スカウトらに正式に断りをいれて[8]プリンスホテルに入社した。入社後は右足の手術を受けて3年間をリハビリに費やし[4]、テンプレート:Byに西武の練習生となり、1A・カリフォルニアリーグのサンノゼ・ビーズに野球留学して24試合に登板している。同年オフのドラフトで3位指名を受けて正式に選手登録された。
プロ野球選手時代
手術後は球速が140km/hに届かず技巧派を目指し[4]、1年目のテンプレート:Byは初先発となった8月29日の対南海戦で完封勝利を挙げている。翌テンプレート:Byは1試合の登板に終わったものの、テンプレート:Byには5月8日の対ロッテ戦で3年ぶりの完投勝利を記録した[9]。テンプレート:Byは先発ローテーションの谷間を埋め[10]、自身最高の5勝を挙げる。大一番となった10月12日の対近鉄戦ではダブルヘッダーの第2試合に先発したが、ラルフ・ブライアントに第1試合から続き日本タイ記録となる4打数連続本塁打を達成されるなど4失点でノックアウトされ、チームも連敗を喫してリーグ5連覇を逃した。
テンプレート:By1月9日に高木宣宏との交換トレードが発表され、広島に移籍[11]。サイドスローに転向したものの登板機会は少なく[4]、テンプレート:Byオフには160万円減の年俸1,440万円(推定)で契約を更改している[12]。テンプレート:Byにダイエーへ移籍するも同じく出番が少なく、テンプレート:Byに現役を引退した。
現役引退後
引退後は三鷹市の不動産会社に勤務し[4]、その傍らで少年野球の指導を行なっていた。またマスターズリーグでは博多ドンタクズに所属している[4]。テンプレート:Byに西武時代の同僚だった石毛宏典に誘われて四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任した。制球力に難のあった西山道隆のフォームを矯正し[13]、西山は同年のドラフトでソフトバンクに指名を受けて入団した。また、指名に先立って自身のソフトバンク2軍投手コーチへの就任も決まり、10月27日にマンダリンパイレーツの退団を発表している[14]。
テンプレート:Byシーズンからは1軍投手コーチ(ブルペン)となり、テンプレート:Byからは1軍投手コーチ(ベンチ)となった。同年は馬原孝浩につなぐセットアッパーの整備を課題として掲げ[15]、シーズンに入るとSBMという継投のパターンが確立された。テンプレート:Byには勢いのある投手を起用する方針を打ち出し、森福允彦の登板機会増加につながった[16]。 現役時代から西武、ダイエーで同僚だった秋山幸二と親交が深く、監督と投手コーチという関係で円滑な連携を見せている。 テンプレート:Byはチーム防御率を12球団トップの2.32(チーム防御率2点台前半は1971年の大洋以来40年ぶり)としてチームの連覇、日本一に貢献した。テンプレート:By、10月11日に退団することが発表された[17]。2013年10月30日にオリックス・バファローズの一軍投手コーチに就任することが発表された[18]。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 西武 | 10 | 2 | 1 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 106 | 22.0 | 19 | 5 | 23 | 0 | 1 | 14 | 0 | 0 | 19 | 19 | 7.77 | 1.91 |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 14 | 2.0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 5 | 22.50 | 4.00 | |
テンプレート:By2 | 11 | 5 | 1 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | -- | .600 | 159 | 36.2 | 42 | 4 | 10 | 0 | 0 | 13 | 2 | 0 | 24 | 19 | 4.66 | 1.42 | |
テンプレート:By2 | 21 | 15 | 4 | 0 | 1 | 5 | 4 | 0 | -- | .556 | 432 | 101.2 | 111 | 15 | 23 | 1 | 1 | 47 | 0 | 0 | 52 | 47 | 4.16 | 1.32 | |
テンプレート:By2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 5 | 0.1 | 3 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 81.00 | 12.00 | |
テンプレート:By2 | 広島 | 9 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 51 | 11.0 | 18 | 2 | 2 | 0 | 0 | 9 | 0 | 0 | 6 | 6 | 4.91 | 1.82 |
テンプレート:By2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 2 | 10.80 | 2.40 | |
テンプレート:By2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 28 | 6.1 | 7 | 2 | 2 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 4 | 4 | 5.68 | 1.42 | |
テンプレート:By2 | 9 | 7 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 0 | -- | .500 | 154 | 35.2 | 42 | 5 | 7 | 1 | 1 | 18 | 0 | 0 | 23 | 23 | 5.80 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | ダイエー | 16 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 99 | 25.1 | 17 | 2 | 7 | 2 | 0 | 11 | 1 | 0 | 8 | 7 | 2.49 | 0.95 |
テンプレート:By2 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 32 | 6.2 | 11 | 4 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 9 | 8 | 10.80 | 1.80 | |
通算:11年 | 92 | 31 | 6 | 1 | 1 | 12 | 12 | 0 | -- | .500 | 1089 | 249.1 | 280 | 40 | 78 | 5 | 6 | 120 | 3 | 0 | 156 | 143 | 5.16 | 1.44 |
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記録
- 初登板:1985年5月6日、対阪急ブレーブス6回戦(西武ライオンズ球場)、9回表に3番手として救援登板・完了、1回2失点
- 初奪三振:1985年5月22日、対ロッテオリオンズ8回戦(平和台球場)、9回裏に有藤道世から
- 初先発・初勝利・初完投勝利・初完封勝利:1985年8月29日、対南海ホークス20回戦(西武ライオンズ球場)
背番号
- 55 (1984年 - 1988年)
- 28 (1989年 - 1990年)
- 12 (1991年 - 1994年)
- 43 (1995年 - 1996年)
- 76 (2006年)
- 82 (2007年 - 2013年)
- 80 (2014年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
- ↑ 1.0 1.1 読売新聞、1980年7月26日付朝刊、P.16
- ↑ asahi.com 第52回選抜高校野球大会 秋田商 対 鹿児島商工
- ↑ asahi.com 第52回選抜高校野球大会 帝京 対 秋田商
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 4.7 毎日新聞、2001年11月19日付夕刊、西部本社版、P.6
- ↑ 読売新聞、1980年11月28日付朝刊、P.17
- ↑ 読売新聞、1980年11月27日付朝刊、P.19
- ↑ 読売新聞、1980年8月23日付朝刊、P.17
- ↑ 読売新聞、1980年12月1日付朝刊、P.17
- ↑ 読売新聞、1988年5月9日付朝刊、P.18
- ↑ 読売新聞、1989年9月24日付朝刊、P.19
- ↑ 読売新聞、1991年1月9日付朝刊、P.19
- ↑ 毎日新聞、1992年11月13日付朝刊、P.15
- ↑ 毎日新聞、2005年11月16日付夕刊、P.3
- ↑ 朝日新聞、2005年10月28日付朝刊、愛媛地方面
- ↑ 朝日新聞、2009年2月15日付朝刊、福岡地方面
- ↑ 毎日新聞、2010年9月4日付朝刊、西部本社版、P.19
- ↑ コーチの退団についてソフトバンク球団公式サイト2013年10月11日配信
- ↑ コーチングスタッフ決定のお知らせオリックス・バファローズ球団公式サイト2013年10月30日配信