「桂米朝」の版間の差分
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桂 米朝(かつら べいちょう)は、上方落語の名跡。本来は、大名跡である桂米團治を継ぐ前段階の名跡。初代が入門した際、師匠の「米」と夫人の名前である「あさ」から「米朝」とつけたのが始まり。当代は3代目。
初代
後の3代目桂文團治。立川三吉、桂文朝、林家菊松、桂米朝、桂順朝、2代目桂米團治を経て、3代目桂文團治を襲名した。本名は前田 七三郎。
2代目
後の3代目桂米團治。初代桂米歌子(べかこ)、初代桂米之助、米朝を経て、3代目米團治を襲名した。本名は早田 福松。2代目の頃には、初代が文團治を襲名するなど出世したため、本来は前座名である米朝の名前が大きくなっていた。
3代目(当代)
入門当時滅びかけていた上方落語の復興に尽力し、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝、3代目桂春団治と共に、昭和以降の「上方落語の四天王」と呼ばれる。本名は中川 清。上方落語界としては初めて(落語界では2人目)の人間国宝となり、後に演芸界初の文化勲章受章者となる。先代の諸事情のため、米團治の名前は継がないと公言している。