「福島FC」の版間の差分
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2013年3月14日 (木) 06:53時点における最新版
テンプレート:サッカークラブ 福島FC(ふくしまエフシー)は、福島県郡山市に存在したサッカークラブ。
概要
1951年に「福島教員サッカー部」(県教育委員会直轄)創部。1982年に国民体育大会のサッカー競技から教員団大会が無くなったのに伴い一般にも門戸を開放し、同時にチーム名を福島FCとした。
1993年のJリーグ開幕をきっかけに福島県でもJリーグ招致をという動きが活発になり、福島FCも1995年の国体開催終了後のジャパンフットボールリーグ(JFL)参戦を目指そうという計画が具体化したが、その前年1994年度の東北社会人サッカーリーグ優勝、全国地域リーグ決勝大会でも2位に入り国体開催年のJFL入りを果たす。
1995年のJFL入りに際しては、単一チームだと両大会に出場することが困難なので、チームをJFL用、国体用の2班に分けて活動し、JFL用のチーム編成ではJリーグ経験者も招聘した。(実質的にJFLのチームがプロ=トップチーム、国体用がアマチュア=セカンドチームという位置づけだった)
1996年に元ジェフユナイテッド市原監督の永井良和を監督に招聘、プロ選手も本格的に補強し、Jリーグ参戦を念頭に置いたチーム作りを始め、1997年にJ2リーグの参加申請を行ったものの、郡山市の開成山陸上競技場、西部サッカーグラウンドの改修やチームの財政支援の目途が立たなかったことなどからチーム経営が悪化。この年の11月にチームの解散を決定し、J2はもちろん1998年度以降のJFL参戦も撤退することになった。
1996年の天皇杯では、11位までに与えられるJFLシードを逃したが福島県代表として出場し、県代表初のJリーグクラブに対する勝利(VSジュビロ磐田)を演じている。
現在福島FCでかつてプレーしていたアマチュア選手(1995年の国体用チームの大半が所属)を中心に結成された「FCプリメーロ」が福島県をホームタウンにして活動しており、将来の日本フットボールリーグ(JFL)参戦を目指している。
1997年にジェフユナイテッド市原のサッカースクールを引き継いで設立されたジュニアチームは解散後も存続し、「FCゴデーレ」への改称を経て現在はビアンコーネ福島の下部組織として活動している。
試合で使われたスタジアム
- ホームスタジアム
- 郡山総合運動場開成山陸上競技場(メイン)
- 郡山市営西部サッカー場(サブ)
- その他のホームゲーム会場
- 基本的に郡山市の2か所を本拠としていたが、県内各地を巡回する日程が組まれ、次の4つの自治体でも年1-3試合のペースで試合が行われた。特に1996年は郡山の2か所で半数の日程を行い、残りの半数が巡回開催であった。
- 福島市 福島県営あづま陸上競技場
- いわき市 いわきグリーンフィールド(いわきG)、いわき陸上競技場(いわき陸 1995のみ)
- 鏡石町 鳥見山陸上競技場
- 双葉町 Jヴィレッジスタジアム(Jヴィレ 1997のみ 県内のJFL開催スタジアムにおいて唯一照明設備があり、ナイターも行われた)
- 年度別・競技場別の試合数
年度 | 開成山 | 郡山西部 | その他 |
---|---|---|---|
1995年 | 5 | 4 | 鳥見山3 あづま1 いわきG1 いわき陸1 |
1996年 | 4 | 3 | あづま3 いわきG3 鳥見山2 |
1997年 | 5 | 4 | あづま2 Jヴィレ2 いわきG1 鳥見山1 |
成績
年度 | カテゴリ | 順位 | 勝点 | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 得点 | 失点 | 得失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 東北 | 4位 | 16 | 14 | 6 | 4 | 4 | 26 | 18 | +8 |
1993 | 4位 | 11 | 14 | 4 | 3 | 7 | 20 | 32 | -12 | |
1994 | 2位 | 21 | 14 | 10 | 1 | 3 | 51 | 16 | +35 | |
1995 | JFL | 13位 | 33 | 30 | 11 | - | 19 | 24 | 67 | -43 |
1996 | 14位 | 22 | 30 | 7 | - | 23 | 30 | 63 | -33 | |
1997 | 10位 | 38 | 30 | 13 | - | 17 | 38 | 54 | -16 |
主な在籍選手
関連項目
- 福島ユナイテッドFC (福島市)
- ビアンコーネ福島 (郡山市)
- シャンオーレ郡山 (郡山市)
- アビラーション (いわき市)