「市原緑地運動公園臨海競技場」の版間の差分
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テンプレート:Pathnav テンプレート:複数の問題 テンプレート:スタジアム情報ボックス 市原緑地運動公園臨海競技場(いちはらりょくちうんどうこうえんりんかいきょうぎじょう)は、千葉県市原市の市原緑地運動公園内にある陸上競技場。球技場としても使用される。施設は市原市が所有し、公益財団法人市原市地域振興財団が指定管理者として運営管理を行っている。
なお、千葉県市原市に本社を置くゼットエー株式会社が命名権を取得しており、2013年4月から「ゼットエーオリプリスタジアム」の呼称を用いている(後述)。
概要
1973年に千葉県で開催された第28回国民体育大会(若潮国体)の競技場として利用されたスタジアム。現在は日本女子サッカーリーグ所属のジェフユナイテッド市原・千葉レディースと関東サッカーリーグ所属のVONDS市原がホームゲームの一部を開催する他、全国高等学校サッカー選手権大会の試合会場としても使用される。また、1993年から2005年までJリーグ加盟のジェフユナイテッド市原、2011年までジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズがホームスタジアムとして使用されていた。
仕様
- 日本陸上競技連盟第2種公認
- 収容人数 - 14,051人
- スタンドの構成 - メインスタンド:鉄筋コンクリート製 ゴール裏 : 芝生 バック:鉄骨製スタンド及び立見席
- バックスタンドは周辺に民家がある関係で大きいスタンドが作れないため、防音壁を立てるとともに、ジェフが主本拠地としていた時代には最前列は陸上用のアンツーカーを一部立見席に改良していた。
- トラック 400m×8レーン
- 照明設備:照明塔4基
- スコアボード:電光式 (バックスタンド中央、得点のみ 上部は簡易型フリーボードでチーム・選手名をロールテロップで表記している)
- Electronic scoreboard in Ichihararyokuchi Sports Park Seaside Stadium.jpg
電光掲示板
- Ichihara Seaside Stadium2.JPG
メインスタンド
- Ichihara Seaside Stadium3.JPG
市原緑地運動公園臨海競技場外観
歴史
Jリーグ開幕にあたって、ジェフの前身である東日本JR古河サッカークラブは当初千葉県習志野市をホームタウンとし、ホームスタジアムとして習志野市秋津公園サッカー場を使用することを計画していたが、周辺住民がスタジアム周辺の騒音を理由に反対したため、JR古河はこのプランを白紙撤回し、千葉県内に新たなホームタウンを探す事になった。
困惑するJR古河に手を差し伸べたのは古河電気工業の千葉事業所がある市原市であった。ただし市原市がホームタウンに決定したのは1992年の5月であり、この時点でJリーグ開幕まで1年を切っていた(加えてJリーグ初年度への参加意思を確認するための応募締切直前でもあった)。従ってホームスタジアムとして使用する事になった市原緑地運動公園臨海競技場の改修は急ピッチで行われる事になった。
この時の改修内容は、バックスタンドの設置、サイドスタンドの設置、バックスタンド前方に立見席を設定するための柵の設置、バックスタンド後方への防音壁の設置、サイドスタンドの下へのトイレの設置などである。バックスタンド、サイドスタンドは仮設(鉄パイプを組み立てたもの)で、うちバックスタンドはJR東日本からの寄贈である。
改修工事は1993年Jリーグ開幕節(5月16日)には間に合わず、ジェフのホームゲーム開幕戦(5月19日対V川崎)は国立霞ヶ丘陸上競技場で行われ、市原臨海での開幕戦は6月5日の清水エスパルス戦(観客動員数9427人)であった。
また、1993年10月よりメインスタンドの収容人数を約5000人分増やす改修工事を始め、翌1994年10月22日のベルマーレ平塚戦(観客動員数14,635人)から使用された。この時点での収容人数は15,338人で、ようやくJリーグの規格を満たす事が可能になった。また、この年の対V川崎戦(10月29日)の動員数14,975人が市原緑地運動公園臨海競技場の最多観客動員の記録となっている。
1995年までジェフの平均観客動員は10,000人を超えていたが、テンプレート:誰範囲。1997年には観客動員が5000人を下回る試合も多く、同5月7日のサンフレッチェ広島戦は2,245人と、当時のJリーグ最低記録も作られた。
テンプレート:要出典範囲、市原臨海競技場に代わるはずであった県営スタジアムが、2002 FIFAワールドカップの開催地選考に落選し、建設計画が凍結。また、市原臨海競技場の改修費用を捻出できないとの理由により市原臨海競技場を使用し続けなければならなかった。
2001年のJ1・1stステージ、ジェフは2位の成績であった。テンプレート:要出典範囲。テンプレート:要出典範囲
テンプレート:要出典範囲市原市は2002年-2003年のオフシーズンに改修計画を発表。当初、現在仮設で設置されているバックスタンド、サイドスタンドを取り壊し、新たに2層式のスタンド(2階席の一部に屋根を架設)を建設し、収容人数を20000人程度にする予定であったが、2003年8月にバックスタンドのみを改修するプランが示され、同年12月から工事が着工された。
2004年は開幕から数試合をバックスタンドを閉鎖した状態で行い、5月22日のセレッソ大阪戦から供用が開始された。テンプレート:要出典範囲
しかし、当初の計画していた改修工事に関し、Jリーグより今までより厳しい改修工事の条件を提示された。その条件とは、
- 観客席を2万人以上収容出来るようにし、席を全て一つずつに分けること (メインスタンド以外の席は、別れていない長いすのため)
- 客席の2/3以上覆える屋根を設置すること。
- 総座席数に対し、毎試合、観客席の8割以上の観客を動員すること
これに対し、市原市はテンプレート:要出典範囲。Jリーグからホームスタジアムとして使用自粛指示が出て、ジェフはそれまでホームスタジアムを市原緑地運動公園臨海競技場とフクアリで併用していたが、通達を受けて、フクアリに統一した。テンプレート:要出典範囲両ゴール裏の仮設席を撤去、芝生席とした。なお、ジェフは2010年までフクアリと共に市原緑地運動公園臨海競技場を本拠地として登録していたが、2011年より本拠地登録から外れた。
2010年に第34回全国地域サッカーリーグ決勝大会の決勝ラウンドが開催された。
なおJリーグのスタジアム規則では収容人員(固定座席)の下限を「J1:15000人、J2:10000人、J3:5000人」と定めており、今回の改修でJ1基準は未充足となったが、J2・J3基準については下限を上回っており開催することは可能である。ただしJ2に降格した2009年以後も市原での開催は1試合も行っていない。
命名権
2010年11月から命名権を募集し、2011年4月1日から導入を予定していたが、応募は無かった。その後、2012年秋に臨海競技場、臨海球場と、市原市能満にある別施設の市原市中央武道館の3点セットで命名権を公募し、市原市に本社を置くゼットエーが市原緑地運動公園臨海競技場の命名権を取得し、2013年3月に市原市とネーミングライツに関する基本合意書に調印した。2013年4月1日から3年間(年額450万円、3施設一括)の契約で、「ゼットエー・オリプリスタジアム」の呼称(略称は「オリブリ」[1])を使用している[2][3]
アクセス
- 電車
- バス
- JR内房線及び小湊鉄道線五井駅よりバス、「臨海競技場」行きで終点下車[4]。
- 自動車
- 館山自動車道市原インターチェンジより約20分[4][1]
- JR内房線及び小湊鉄道線五井駅より約10分[1]