習志野市

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テンプレート:Infobox 習志野市(ならしのし)は、千葉県北西部に位置するである。下総台地の端であり、東京湾に面する。人口約16万7千人で、千葉県内では流山市に次いで10位である。通勤率は、東京都特別区部へ32.7%、船橋市へ11.7%、千葉市へ10.5%(いずれも平成22年国勢調査)。

地理

下総台地の端であり、海岸部から内陸部にかけて高低差が大きい。東京湾沿いには広大な遠浅の海岸を埋め立てた住宅地や商工業地が広がるが、1ヶ所だけ埋め立てられないで残ったラムサール条約登録地谷津干潟があり、干潟を必要とする渡り鳥の重要な中継飛来地となっている。

歴史

原始・古代・中世

千葉市の加曽利貝塚などにも見られるように、千葉県東京湾岸には多くの縄文時代遺跡が存在する。習志野市周辺にも藤崎堀込貝塚などの当時の遺跡が多数確認されている。市内には鷺沼古墳群があり、鷺沼地区には有力な豪族がいたことが分かる。律令制下で下総国に属し、古東海道の浮嶋駅を習志野市内に比定する説もあるが詳しくは不明である。治承4年(1180年)、吾妻鏡には、石橋山の戦いに敗れ安房国に上陸した源頼朝が、軍勢を連れて北上して鎌倉に向かったときに陣を置いた館(やかた)の場所として、「鷺沼御旅館」の名前が見られる。現在、市役所がある鷺沼地区の八剱台や、八剣神社周辺、また、暗渠となっている菊田川の左岸が下総台地に迫る位置の大堀込が、中世の武士の城館である鷺沼城跡の候補地となっている。

近世

中世までは葛飾郡とされることもあったが、江戸時代初期に現市域内に分布した谷津(やつ)、久々田(くくだ、くぐた)、鷺沼(さぎぬま)、藤崎(ふじさき)、実籾(みもみ)などの村々は千葉郡に属し、ほとんどが幕府領または旗本領となっていた。また、大久保(おおくぼ)新田が関西(おもに大阪府羽曳野市)からの移住者によって開発された。当時の資料には海岸部に谷津村や久々田村・鷺沼村などの地名が見られ、内陸の実籾村の北部には幕府によって小金牧が置かれた。藤崎村・大久保新田・実籾村には東金御成街道が通り、藤崎の名はその地を通った徳川家康が「藤咲」と名付けたと伝えられる。後に同地にある子安神社の祭神コノハナサク(咲)ヤヒメの名を憚って「咲」を「崎」に変えたという。また、屋敷(やしき)台新田が馬加村(後に幕張)の一部となっていた。この海岸部の村々と内陸の台地の村々の二つの地域が、その後の習志野市の地理的な二大要素、すなわち後述の「津田沼」と「習志野原」を構成するようになるのである。

東京湾沿岸には海岸近くにまで下総台地が迫り、そこに三本の谷(谷津田)が刻まれている。ここに開けた水田の回りに開けた集落が最も西に位置する谷津、中央の久々田とその上流に位置する藤崎、東の鷺沼であった。

明治 - 昭和

1888年(明治21年)、町村制施行により、谷津、久々田、鷺沼、藤崎、大久保新田(後の大久保)の5村が合併して、人口約4,500人の千葉郡津田沼村が誕生した。「津田沼」の名は、谷津の津、菊田(久々田)の田、鷺沼の沼を合わせたものである。一方、実籾村は馬加村などと合併して幕張村となった。1895年(明治28年)、前年開通した総武鉄道津田沼駅が出来る。1903年(明治36年)には津田沼村が町制をしき、人口約6,000人の津田沼町となった。

1873年(明治6年)、小金牧大和田原(現・千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)で明治天皇御覧の下で陸軍による演習が行われた。後に明治天皇によって、その地は「習志野原」と命名され、陸軍の演習場となった。なお、演習場の敷地は、その後、拡張され、現在習志野市八千代市の一部の広大なものとなった。※一説には篠原国幹少将による指揮に感銘し、そのときの天皇の発言(「篠原を見習え」>習え篠原>習志野原)がもととなったという。後に陸軍によって買収され習志野演習場となった。

陸軍習志野練兵場には日露戦争の時に捕虜の収容施設が作られ、ロシアの捕虜[1]が、また、第一次世界大戦の時には、ドイツオーストリア=ハンガリーの捕虜[2]が収容された。大久保には、第十三・十四・十五・十六の4つの騎兵連隊陸軍衛戍病院(現在の千葉県済生会習志野病院)がおかれ、第1第2の2つの騎兵旅団が編成された。昭和に入り騎兵連隊が中国大陸へと進駐すると、後には陸軍習志野学校や戦車第2連隊が置かれるようになった。また、近隣の藤崎に騎砲兵第2連隊が、実籾には東西の高津廠舎と糧秣廠倉庫が置かれた。 津田沼には鉄道第二連隊が置かれ、松戸から津田沼までに演習で路線が引かれ、それが現在の新京成電鉄となった。

こうして津田沼町の一帯も含む広い地域が「軍郷」とよばれ、軍隊の街「習志野」が成立した。近年では旧日本陸軍軍用跡地に毒ガス弾が埋設され残っている問題が浮上した。環境省が調査を行っているが、旧日本陸軍習志野駐屯地跡地のある船橋市八千代市など近隣市町村にまたがる広域の問題となっている。[1]

戦後

津田沼町周辺は軍郷・習志野の一部として1901年(明治34年)に設置された騎兵第1旅団(現日本大学東邦大学)、騎兵第2旅団(現東邦大学付属東邦中学校・高等学校など)をはじめ、津田沼駅前に鉄道第二連隊(現千葉工業大学)などの軍関係施設が点在していた。

戦後、軍施設は民用施設に転換され、住宅地となったり、教育施設、病院、工場として利用された。千葉工業大学津田沼キャンパスには、鉄道第二連隊の表門が残されている。北東部の「習志野原」と呼ばれる旧陸軍演習場の敷地の大部分は、外地からの引揚者などの手による開墾地となった。(平林巌と習志野原の開拓を参考)

1954年(昭和29年)8月1日 津田沼町が習志野町に名称変更、同日千葉市の一部(旧幕張町北部)を編入合併、同日市制施行により習志野市が成立した。習志野演習場の自衛隊施設に転用された部分を含む旧二宮町船橋市に編入された(この部分、「習志野市の成立」を参照)。市制が布かれて以降、「津田沼」の地名は旧久々田村の地域を指す地名として残された。総武線は乗客数増加に対応し東京-津田沼間で複々線化し、快速運転を開始するようになった。また、津田沼駅周辺に大型店舗が乱立するようになった。津田沼戦争を参照のこと)。

沖合いに広がる遠浅の海岸は、戦後、伝統的な潮干狩りに加えて海苔養殖で繁栄したが、1960年代千葉県企業庁がこれを埋め立て、日本住宅公団袖ヶ浦団地を造成した。また、1970年代の第二次の埋め立てでは秋津、香澄の住宅公団の団地や分譲住宅地の他、芝園・茜浜などに工業地が作られ、東関東自動車道水戸線の建設の際には緑地が作られた。このとき旧大蔵省管轄の土地が池状に埋め立てられずに残され、東京湾と二本の水路でつながった干潟谷津干潟と呼ばれ、船橋沖に広がる三番瀬と並ぶ野鳥の飛来地として保護され、ラムサール条約登録地となった。

東日本大震災の影響で、市役所本庁舎の耐震強度が低下したため、本庁舎を建て替えすることになり、2012年10月1日からは別棟の市民課を除き本庁舎内の各課を市役所周辺の施設に移転させた上、習志野市津田沼5丁目(京成津田沼駅前)の以前ホテルが入っていた建物も仮庁舎として使用している。

沿革

町村制の施行以来、一度も他の市町村全域とのの廃置分合を行っていない珍しい例である。千葉県内では他に鎌ケ谷市富里市酒々井町がある。

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により谷津村、久々田村(現津田沼)、鷺沼村、藤崎村、大久保新田が合併して千葉郡津田沼村が発足。
  • 1903年(明治36年)3月3日6月3日) - 津田沼村が町制を施行し津田沼町となる。
  • 1954年(昭和29年)
    • 8月1日 - 津田沼町が千葉市の一部(旧幕張町北部:実籾、愛宕、安生津、長作、天戸)を編入して習志野町と改称、即日市制を施行し習志野市となる。
    • 8月28日 - 一部の地域(旧幕張町北部:天戸、長作の字開有富、字享保の一部を除く大部分)を千葉市に編入。
  • 1955年(昭和30年)9月30日 - 船橋市習志野町の一部(現東習志野)を編入。
  • 1957年(昭和32年)12月1日 - 千葉市幕張町2丁目の一部(現花咲)、長作町の一部(現実籾)を編入。
  • 1965年(昭和40年)9月1日 - 千葉市長作町の一部(現実籾)を編入。
  • 1966年(昭和41年)12月27日 - 公有水面埋立地(現袖ヶ浦)を編入。
  • 1967年(昭和42年)3月1日 - 東習志野町字新生の一部を千葉市に編入(現長作町)。千葉市幕張町2丁目の一部(現花咲)を編入。
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月1日 - 千葉市幕張町2丁目の一部(現屋敷、花咲)、長作町の一部(現実籾)を編入。
    • 10月1日 - 東習志野町字新生の一部を千葉市に編入(現長作町)。
  • 1970年(昭和45年)5月1日 - 千葉市幕張町2丁目の一部(現屋敷、花咲)を編入。
  • 1971年(昭和46年)5月1日 - 屋敷町の一部を千葉市に編入(現幕張町)。千葉市幕張町2丁目の一部(現花咲、本大久保、花咲)、長作町の一部(現実籾、実籾本郷)を編入。
  • 1977年(昭和52年)12月15日 - 公有水面埋立地(現香澄、秋津、茜浜、芝園)を編入。
  • 1980年(昭和55年)8月5日 - 公有水面埋立地(現芝園)を編入。
  • 1981年(昭和56年)5月1日 - 谷津7丁目の一部を船橋市に編入(現前原西)。
  • 1989年(平成元年)2月17日 - 公有水面埋立地(現香澄)を編入。
  • 1992年(平成4年)3月3日 - 公有水面埋立地(現袖ヶ浦)を編入。現在の市域となる。

人口

テンプレート:人口統計

隣接している自治体・行政区

現在

旧津田沼町時代

行政

歴代首長

津田沼村長

  • 初代 伊藤弥一(谷津):1889年(明治22年)5月 - 1893年(明治26年)4月
  • 2代 三橋茂兵衛(久々田):1893年(明治26年)5月 - 1894年(明治27年)4月
  • 3代 村山吉兵衛(鷺沼):1894年(明治27年)4月 - 1895年(明治28年)6月
  • 4代 伊藤弥一(谷津):1895年(明治28年)7月
  • 5代 三橋茂兵衛(久々田):1895年(明治28年)9月 - 1897年(明治30年)4月
  • 6代 植草十右衛門(久々田):1897年(明治30年)12月 - 1901年(明治34年)12月
  • 7代 笠川徳脩(その他):1902年(明治35年)5月 - 1903年(明治36年)3月 大和田町(現・八千代市出身)

津田沼町長

  • 初代 笠川徳脩(その他):1903年(明治36年)3月 - 1904年(明治37年)7月
  • 2代 中島左内(久々田):1905年(明治38年)3月 - 1908年(明治41年)10月
  • 3代 田久保節造(藤崎):1909年(明治42年)2月 - 1911年(明治44年)8月
  • 4代 中島左内(久々田):1911年(明治44年)9月 - 1929年(昭和4年)10月
  • 5代 田久保清次(藤崎):1929年(昭和4年)11月 - 1931年(昭和6年)1月
  • 6代 吉野信(久々田):1931年(昭和6年)1月 - 1946年(昭和21年)11月
  • 7代 白鳥義三郎(久々田):1947年(昭和22年)4月 - 1954年(昭和29年)8月

習志野市長

  • 初代 白鳥義三郎:1954年(昭和29年)-1963年(昭和38年)
  • 2代 大塚軍記:1963年(昭和38年)-1967年(昭和42年)
  • 3代 吉野孝 :1967年(昭和42年)-1983年(昭和58年)
  • 4代 三上文一:1983年(昭和58年)4月-1991年(平成3年)4月
  • 5代 荒木勇:1991年(平成3年)4月-2011年(平成23年)4月
  • 6代 宮本泰介:2011年(平成23年)4月-(現職)

立法

市議会

  • 定数:30名
  • 任期:2011年(平成23年)5月1日~2015年(平成27年)4月30日
  • 議長:斉藤賢治(真政会、4期)
  • 副議長:長田弘一(元気な習志野をつくる会、2期)
会派名 議席数 議員名(◎は代表)
元気な習志野をつくる会 5 ◎田中真太郎、長田弘一、帯包文雄、清水大輔、関桂次
公明党 5 ◎小川利枝子、木村孝浩、清水晴一、布施孝一、真船和子
真政会 5 ◎宮本博之、荒木和幸、斉藤賢治、佐々木秀一、杉山和春
環境みらい 4 ◎央重則、相原和幸、市角雄幸、中山恭順
みんなの党 3 ◎市瀬健治、佐野正人、高橋剛弘
日本共産党 2 ◎谷岡隆、市川寿子
習志野クラブ 1 木村孝
市民の声を聞く会 1 立崎誠一
新社会党 1 宮内一夫
ならしの志民の会 1 伊藤寛
ならしのひまわりの会 1 木村静子
都市政策研究会 1 平川博文

2014年6月19日、環境経済委員会(7名)は、原発を再稼働するよう国に意見書を提出することを求める陳情を賛成多数で採択した。この出来事は全国紙で報道され、本会議での帰趨が注目された[2]。6月27日に行われた本会議では反対24で不採択となった。賛成した議員は、宮本博之、荒木和幸、佐々木秀一、杉山和春、伊藤寛の5名。なお、委員会で賛成した帯包文雄と真船和子は一転、反対に回った[3]

千葉県議会(習志野市選挙区)

  • 定数:2名
  • 任期:2011年(平成23年)4月30日~2015年(平成27年)4月29日
氏名 会派名 当選回数
佐藤 正己 自由民主党千葉県議会議員会 4
※欠員1

2014年7月4日、道路交通法違反の疑いで逮捕されていた村上純丈県議が辞職。これにより習志野市選挙区は現在「欠員1」である。

産業

農業

住宅化が進み、農地は減って来ているが、近郊農業は行われている。主な産物はニンジンネギなどで、菊田川・浜田川上流域において水田が僅かに存在する。

工業

東習志野にいくつか大きな工場がある。千葉港から広がる京葉工業地域には、重化学工業が発達している。

習志野市は当初、内陸部・東習志野の旧陸軍習志野演習場を解放した開拓地を、農地法による売買制限解除前に買い上げ、工業団地を造成して日立製作所などの大工場を誘致した。沿岸部では第二次埋立の行われた1970年代に公害が大きな社会問題となったこともあって大工場の誘致は行わず、埋め立て完了後、茜浜に中小工場による工業団地を造成した。

また、鷺沼で天然ガスの採掘が行われていたが、現在は休止中である。

商業

習志野の陸軍施設の玄関口として総武線津田沼駅北口には戦前から駅前商店街が形成されたが、それらの多くは船橋市(旧二宮町)に属する。津田沼駅北口・南口の再開発事業によって大型商業施設が集積する1970年代後半までは京成電鉄谷津遊園(現・谷津)・京成津田沼京成大久保実籾の各駅周辺に駅前商店街が形成される以外に目立った商業施設は無かった。その中で谷津遊園に続く谷津遊園駅南口と、大久保の陸軍施設(戦後は国立病院および大学)に続く京成大久保駅北口の商店街は早くから発展し、市内で最も繁華な地区であった。

1970年代後半、千葉県立千葉工業高等学校と習志野第一中学校といった駅周辺に大きな面積を占めていた学校施設の移転後に再開発事業の行われた津田沼駅周辺では、隣接する船橋市域に跨って長崎屋パルコイトーヨーカドー丸井(以上北口)、高島屋ダイエー(以上南口)などの大型店が相次いで進出し、新京成電鉄沿線の船橋市東部も含めた膨大な居住人口を背景に津田沼戦争と呼ばれる激しい競争が展開した。これらの大型店のうち長崎屋、高島屋は1980年代に、ダイエーが2005年(平成17年)末に、丸井が2007年(平成19年)に撤退しているが、2003年(平成15年)10月4日イオン株式会社がイオン津田沼ショッピングセンター(現・イオンモール津田沼)をオープン、2007年(平成19年)11月9日ファーストリテイリングユニクロを核店舗としたミーナ津田沼を丸井撤退後の店舗にオープンさせ、更に2008年(平成20年)にはダイエー撤退後の津田沼サンペデックビルがモリシア津田沼と名称を変え、ヤマダ電機LABI津田沼店とイオンモリシア津田沼店ほか多数テナントをオープンさせたため、激しい競争の再来が予想される。

2000年代に入って、造成の遅れていた京葉線新習志野駅南側に郊外型大型商業施設が進出した。これに対してかつては団地住民の日常の買い物で賑わった袖ヶ浦団地内のショッピングセンターは、苦戦を強いられながらも比較的健闘していたが、秋津団地のショッピングセンターは撤退に至った。

姉妹・提携都市

交通

鉄道

習志野という駅は市内に存在せず(習志野駅は船橋市にある。経緯は習志野の項を参照の事)、船橋市にまたがる津田沼駅が市の中心駅となっている。京成線京成津田沼駅京成本線千葉線に分岐する。また、京成津田沼駅は新京成線の起点である。またJR総武線京葉線が通っていて、習志野市内にそれぞれ車両基地がある。

25px 東日本旅客鉄道(JR東日本)
テンプレート:Colorテンプレート:Color 総武本線: - 津田沼駅 -
テンプレート:Color 京葉線: - 新習志野駅 -
30px 京成電鉄
テンプレート:Color 本線: - 谷津駅 - 京成津田沼駅 - 京成大久保駅 - 実籾駅 -
テンプレート:Color 千葉線:京成津田沼駅 -
テンプレート:Color 新京成電鉄
テンプレート:Color 新京成線:京成津田沼駅 - 新津田沼駅 -
  • 旧陸軍軍用路線(1945年(昭和20年)廃線)鉄道第2連隊練習路線( 千葉 - 津田沼 - 習志野原・松戸)

路線バス

高速バス

深夜急行バス

道路

高速道路

一般国道

その他

港湾

観光

史跡・名所

国の登録有形文化財

  • 千葉工業大学通用門(旧鉄道第2連隊正門)(津田沼)
  • 廣瀬家住宅 主屋など(津田沼)

主な神社

主な寺院

  • 東福寺(谷津)
  • 西光寺(谷津)
  • 東漸寺(津田沼
  • 慈眼寺(鷺沼)
  • 正福寺(藤崎)
  • 無量寺(実籾)
  • 薬師寺(大久保)

イベント

過去に存在した主な軍事施設

住宅団地

  • 香澄団地
  • 秋津住宅公団海浜団地
  • 袖ヶ浦団地
  • 谷津パークタウン
  • 大久保団地(本大久保、賃貸224 1957年(昭和32年))
  • 谷津遊園ハイツ
  • 海浜谷津団地

教育

旧軍隊施設跡地に誘致された東邦大学(ただし東邦大学は船橋市内に位置する)や日本大学生産工学部千葉工業大学のキャンパスが大久保や津田沼、さらに埋立地の芝園にあり、学生の数が多い。京成大久保駅周辺は学生街を形成している。

市立習志野高校高校野球や吹奏楽部、サッカー等で活躍し、全国的に有名であり、千葉県立津田沼高等学校には音楽コースが設けられており、ここでも音楽教育が盛んである。

幼稚園

テンプレート:Col-begin テンプレート:Col-break 市立

  • 習志野市立杉の子こども園(2012年4月に開設)
  • 習志野市立つくし幼稚園
  • 習志野市立谷津幼稚園
  • 習志野市立津田沼幼稚園
  • 習志野市立袖ヶ浦東幼稚園
  • 習志野市立屋敷幼稚園
  • 習志野市立藤崎幼稚園
  • 習志野市立大久保東幼稚園
  • 習志野市立向山幼稚園
  • 習志野市立新栄幼稚園
  • 習志野市立袖ヶ浦西幼稚園
  • 習志野市立秋津幼稚園
  • 習志野市立香澄幼稚園
  • 習志野市立実花幼稚園
  • 習志野市立東習志野こども園

テンプレート:Col-break 私立

  • 第一くるみ幼稚園
  • 青葉幼稚園
  • 習志野みのり幼稚園
  • みもみ幼稚園
  • ホーリネス幼稚園

他の幼児施設

  • やひろ学園

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小学校

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中学校

高等学校

専門学校

大学

東邦大学習志野キャンパスは船橋市

過去に所在した大学関係施設

習志野市を舞台とする作品

出身人物

出典

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:Sister

行政
観光

テンプレート:Navbox

テンプレート:習志野市の町名
  1. 防衛省:習志野演習場に係る旧軍毒ガス弾等の環境調査について
  2. テンプレート:Cite news
  3. テンプレート:Cite news