「エレクトラ・レコード」の版間の差分
(→エレクトラ・レーベルの邦楽アーティスト) |
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2014年4月14日 (月) 22:10時点における最新版
エレクトラ・レコード(Elektra Records)は、アメリカのレコード会社。設立者はジャック・ホルツマンおよびポール・リックホールトで、両名が300ドルずつ出資して1950年に設立された。
概要
1950年代から60年代にかけて、フォークの名門レーベルのひとつとして活動。ジュディ・コリンズらを輩出した。この時期に後に独立プロデューサーとなるポール・ロスチャイルドが入社している。60年代中盤からはロックにも進出し、ドアーズやラヴ、ストゥージズなどを輩出した。
1973年にジャック・ホルツマンが同社を離れると当時の親会社であり、元々は葬儀屋を経営していたキニー社からレコード産業に進出したワーナー・コミュニケーションズが、同社とアサイラム・レコードを合併させた。これにより同社はエレクトラ・アサイラムと改名(後にエレクトラ・エンタテインメントと再改名)。さらにアトランティックとも合併し、WEAという巨大企業になってしまう。エレクトラ担当を外れたホルツマンはディスカバリー・レコードを始めた。
エレクトラはワーナー・ミュージック・グループの一部として三十年間続けられ、2004年2月にタイム・ワーナーはワーナー・ミュージック・グループをトーマス・リー・パートナーズ、ベイン・アンド・カンパニー、エドガー・ブロンフマン・ジュニアによって設立された投資家グループに売却した。4月にWMGの新オーナーは多くのスタッフを解雇し、エレクトラ・レーベルを休止した。多くのアーティストが契約解除されたが、幾らかはWMG傘下の別レーベルと契約した。
2009年6月1日、レーベルの活動再開が発表された。手始めにフランスのエレクトロニックデュオジャスティス、ナールズ・バークレイの片割れであるMCのシー・ロー、英国のエレクトロポップミュージシャンリトル・ブーツの3組と契約している。[1]
沿革
- 1950年 ジャック・ホルツマンとポール・リックホールトによりニューヨークに設立される。
- 1963年 サブ・レーベルであるノンサッチ・レコードを設立。
- 1970年 キニー・コーポレーション(後にワーナー・コミュニケーションズに改名)により買収される。
- 1973年 ジャック・ホルツマンが退社。アサイラム・レコードとの合併により社名がエレクトラ・アサイラムとなり、デヴィッド・ゲフィンが社長に就任。
- 2004年 同じワーナー・ミュージック・グループ内のアトランティック・レコードに吸収され、活動を休止。
- 2009年 活動再開が発表される。
現在のアーティスト
過去の主なアーティスト
※ここではいったん活動を休止する2004年以前に在籍していたアーティストを紹介する。
- ジュディ・コリンズ (en:Judy Collins)
- ストゥージズ
- MC5
- ラヴ
- ドアーズ
- テレヴィジョン
- ジョニ・ミッチェル
- キース・スウェット
- ティム・バックリィ
- フィル・オクス
- ポール・バターフィールド・ブルース・バンド
- ブレッド
- カーリー・サイモン
- クイーン
- カーズ
- ザ・キュアー
- モトリー・クルー
- ドッケン
- メタリカ
- アニタ・ベイカー
- タミア
- イーヴン・ダズン・ジャグ・バンド
- ディラーズ
- ジュディ・ヘンスキ
- ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツ
- 10,000マニアックス (en:10,000 Maniacs)
- ジョージア・サテライツ (en:The Georgia Satellites)
- ファスター・プッシーキャット
- トレイシー・チャップマン
- ピクシーズ
- ディー・ライト
- ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
- ステレオラブ
- サード・アイ・ブラインド
エレクトラ・レーベルの邦楽アーティスト
1970年代、エレクトラの配給権を保持していたワーナー・パイオニア(現・ワーナーミュージック・ジャパン)が、同レーベルで発売した邦楽アーティスト。