MC5

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician MC5(エム・シィー・ファイヴ)は、1960年前半から1970年前半にかけて、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市を拠点に活躍したロックバンド。結成はミシガン州のLincoln Park。

メンバー

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第93位、2011年の改訂版では削除された。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第92位、2011年の改訂版では削除された。

経歴

共にR&Bファンで在り十代の頃よりの親友であったウェイン・クレイマー(リードギター)とフレッド・スミス(リズムギター)は1963年アメリカ合衆国リノイ州のリンカーパークにてバンド活動を開始。

バンドの2枚目のアルバム『Back in the U.S.A.』ではチャック・ベリーの『バック・イン・ザ・USA』、リトル・リチャードの『トゥッティ・フルッティ』をカバーするなど、ベースとなるR&B志向は後の活動でも一貫して保たれている。

デトロイトにてバンド活動を始め、しばらくした後、イギー・ポップ率いるザ・ストゥージズが登場する。MC5とThe Stoogesは兄弟バンド的な存在となり過激なパフォーマンスとメッセージで後にパンク・ロックの第一人者と呼ばれる。MC5のメンバーはストゥージズのメンバーと親密な関係にあり、後にデストロイ・オール・モンスターズ(Destroy All Mosters)、ニュー・オーダー(New Order[1])、ニュー・レース(New Race)等のバンドでも活動を共にした。

過激なパフォーマンスでも名を轟かせた。PAシステムが発達していない時期に何台ものアンプを使い爆音を響かせたことは有名である。当時では有り得ないステージ上の派手な衣装も印象的である。フレッド・スミスはスペースマン、ウェイン・クレーマーは顔を金色に塗り、ロブ・タイナーは巨大なアフロで登場する様であった。60s'に既に過激な衣装で登場していた先駆者であった為か、デニス・トンプソンは後の派手な衣装で有名になったバンドをかなり皮肉っており、特にキッスを「Fuck KISS」(キッスはしょうも無い)と罵っている。

また『Kick Out The Jams』の冒頭で聞けるように、卑語である「マザーファッカー」をステージ上で絶叫したりしていた。観客の熱狂も比類なきものであったといわれた。

マネージャーのジョン・シンクレアはホワイトパンサー党の創設者として知られており、政治的姿勢も明確にし、ヒッピーのブームに浮かれる世情と真っ向から対立した。反政治的(反体制的?)な活動をしていたMC5は、1968年8月25日のシカゴのLincoln Parkで行われた“Festival of Life” において、悪名高いバンドとして警察からコンサートを中止させられそうになった。コンサートはそのまま続行されたが、終了後シカゴより逃げるようにデトロイトに帰ったという。当時のMC5は危険なバンドとしてFBIにもマークをされていたといわれる。

また子供に悪影響を及ぼす等の理由によりしばしば、レコード店より販売の拒否、またはレコードの撤去をされたという事実もある。MC5は当時のデトロイトの大衆紙の1ページ全面で大々的に大手ハドソン・デパートを皮肉り 「KICK OUT OF THE JAMS, MOTHERFUCKER! and kick in door if the store won’t sell you the album FUCK HDOSON'S!」とレコードレーベルのエレクトラ・レコードのロゴマークと共に書き込んだ。激怒したハドソン側がエレクトラのレコードを全て撤去、販売を中止したという事件もある。多大な被害を受けたのは所属レコード会社・エレクトラであった。

1972年に解散したが、2002年に再結成。再結成後は死去した二人のメンバーを除いた3人のラストネームのイシャルを取りDTK/MC5(Michel Davis,Dennis Thompson,Wayne Kramer)という名前で活動している。ボーカルにはその時々に、マッドハニーのマーク・アームや、元ガンズ・アンド・ローゼズのギルビー・クラーク、ベルレイズのリサ・ケカウラ等をゲストボーカルに呼んでいる。また、同年USA VH1のTVプログラム「MC5: Sonic Revolution 2004」でも放送された様に、現在はメンバーはバンド活動の他にプロデューサー活動も行っている。

その他

  • バンド名の由来は、一般にMotor City Fiveの略とも、自動車部品の品番の名称に似せたとも言われるが、実は特に形式ばった略語ではなく何にでもあてはまる様に、と付けられた名前らしい。MC5のドキュメンタリー映画 A True Testimonial(2002)の中で、リーダーのウェイン・クレイマーは「簡単に呼びやすい様にような語感を意図した」と語っている。

ディスコグラフィー

  • Kick Out The Jams (1969年)…ライヴ盤
  • Back In The USA (1970年)
  • High Time (1971年)

活動中発表されたオリジナル・アルバムは以上3作のみ。
他ライブ、編集盤多数。

外部リンク

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. ジョイ・ディヴィジョンから発展した同名バンドとは別