ダムド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox Musician

ザ・ダムド (The Damned) は、1976年に結成されたイギリスパンク・ロックバンドである。セックス・ピストルズザ・クラッシュと並んでロンドン3大パンク(バンド)のひとつに数えられている。

概要

1976年、最初にシングル、およびアルバムをリリースしたロンドンパンクのバンドである。ただし、社会的批判・主張から生まれたパンク・ロックムーブメントの中にあって、彼らは・クラッシュやストラングラーズに代表される政治的・社会的な主張はあまり盛り込んでいない。しかし、当時の中でその圧倒的なスピード感と激しさと轟音による強烈なビート・サウンドは後に登場するハードコア・パンクに大きな影響を与えた。そういう意味では、パンクのサウンド面において大きな役割を果たした。

2012年現在もデイブ・ヴァニアンとキャプテン・センシブルは活動を継続しており、コンスタントにライブを行い、2008年11月には新作も発表されている。

メンバー

幾多もの大幅なメンバーチェンジや解散・再結成を行っている。また、非公式やごく短期間在籍のメンバーもいるが、ここでは割愛する。

メンバー構成

2012年現行のダムドは第9期となる。

オリジナルメンバー。結成時から2012年現在まで通年で在籍している唯一の人物。ダムドに加入するまでは墓堀り職人をしていた[1]。独特のメイクが後年のミュージシャン達にも大きな影響を与え、多くのフォロワーを生んだ。
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ギター、ボーカル
オリジナルメンバー。1987年に脱退し、ソロに転向した。その後1996年に再び正式加入している。初期ダムドではベースを担当。ソロ音源も多数リリースしている。

10thアルバム『So, Who's Paranoid』発売。

過去のメンバー構成

1期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ベース
  • ラット・スケイビーズ (Rat Scabies) - ドラムス
ラット・スキャビーズとも。バンド結成時から1977年、1978年から1996年まで在籍。ダムドサウンドの根幹とも言える、重厚且つ破天荒なドラムを叩く。そのドラミングはジミー・ペイジも絶賛していた。長年マネジメント面でバンドの要として活躍し、長期にわたって「ダムド」の商標の権利を有していた。
  • ブライアン・ジェイムス (Brian James) - ギター
バンド結成時から1978年まで在籍。初期ダムドにおいて、数多くの楽曲の作詞・作曲を担った。脱退後、THE LORDS OF THE NEW CHURCHを結成。THE LORDS解散後もライブなどにはしばしば参加している。

オリジナルメンバー。1stアルバム『地獄に堕ちた野郎ども』発売。

2期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ベース
  • ラット・スケイビーズ (Rat Scabies) - ドラムス
  • ブライアン・ジェイムス (Brian James) - ギター
  • "ルー" ロバート・エドモンズ ("Lu" Robert Edmunds) - ギター

2ndアルバム『ミュージック・フォー・プレジャー』発売。

3期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ギター
  • ラット・スケイビーズ (Rat Scabies) - ドラムス
  • アルジー・ワード (Algy Ward) - ベース
後にTANKを結成。

3rdアルバム『マシンガン・エチケット』発売。

4期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ギター
  • ラット・スケイビーズ (Rat Scabies) - ドラムス
  • ポール・グレイ (Paul Gay) - ベース

4thアルバム『ブラック・アルバム』、5thアルバム『ストロベリーズ』(このアルバムには後に正メンバーに加入するローマン・ジャグがサポート・キーボードとして参加している)発売。

5期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • ラット・スケイビーズ (Rat Scabies) - ドラムス
  • ローマン・ジャグ (Roman Jugg) - ギター
4期『Strawberries』の時には、サポート・キーボーディストとして参加
  • ブライン・メリック (Bryn Merrick) - ベース

6thアルバム『ファンタスマゴリア』、7thアルバム『エニシング』発売。

6期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • ラット・スケイビーズ (Rat Scabies) - ドラムス
  • クリス・ドーリモア (Kris Dollimore) - ギター
  • アラン・リー・ショウ (Allan Lee Shaw) - ギター
  • ジェイソン"ムース"ハリス (Jason "Moose" Harris) - ベース

8thアルバム『暗闇のロックン・ロール』発売。

7期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ギター
  • パトリシア・モリソン (Patricia Morrison) - ベース
デイヴ・ヴァニアンの妻。
  • ゲイリー・ドレッドフル (Garrie Dreadful) - ドラムス
  • モントリー・オキシー・モロン (Monty Oxy Moron) - キーボード
8期
  • デイヴ・ヴァニアン(Dave Vanian) - ヴォーカル
  • キャプテン・センシブル (Captain Sensible) - ギター
  • パトリシア・モリソン (Patricia Morrison) - ベース
  • モントリー・オキシー・モロン (Monty Oxy Moron) - キーボード
  • ピンチ (Pinch) - ドラムス

9th『グレイヴ・ディスオーダー』発売

来歴

初期ダムド

1975年、バンド関係の知り合いであった、レイモンド・バーンズ(後のキャプテン・センシブル)とクリス・ミラー(後のラット・スケイビーズ)がバンドを組むことになった。そこに、ラットが加入直前まで話が進んでいたロンドンSSというパンクバンドのギタリスト・ブライアン・ジェイムスが参加し、3人でSubterraneansを結成した。これがダムドの原型と言える。

Subterraneansは間もなく自然消滅してしまうが、ここでセックス・ピストルズの仕掛人として有名なマルコム・マクラレンが関係してくる。彼の新しいパンクバンドのプロジェクトに、キャプテンとラットを引き込んだのだ。ボーカルには、後にザ・プリテンダーズを結成するクリッシー・ハインドを据え、Masters of the Backsideという名での活動を開始するが、このバンドもまた、本格的な軌道に乗ることなく消滅する。

そこでキャプテンとラットの2人はブライアンを呼び戻し、マルコムがMasters of the Backsideに紹介したボーカル候補の一人であった、デイヴィッド・レッツ(後のデイヴ・ヴァニアン)との4人で新しいバンドを結成した。ダムドの始まりである。

1976年、イギリスでパンクムーヴメントが吹き荒れる中、セックス・ピストルズのサポートを務めながら、ロンドンで行われた「100 Club PUNK Festival」などに出演、9月にStiff Recordsと契約を交わし、10月にロンドンパンクとして初のシングルとなる「ニュー・ローズ」をリリース(B面はビートルズヘルプ」のカバー)。そして、翌1977年には、これもまた、ロンドンパンク初のアルバムである『Damned, Damned, Damned』(邦題・地獄に堕ちた野郎ども)をリリースした(プロデューサーはニック・ロウ)。

同年にギタリスト、ルー・エドマンズが加入し、11月には2ndアルバムとなる『ミュージック・フォー・プレジャー』を発表。プロデューサーはピンク・フロイドニック・メイスン。しかし、リリース直後にラットが脱退、続いてブライアンも脱退を表明し、1978年4月のライブを最後にダムドは一旦解散に至る。

再結成後

1978年春に解散したダムドであるが、早くも夏頃にはキャプテンとラットが再集結し、後に呼応したヴァニアンと、新たにベースにはアルギー・ワードを加えて本格的にダムドは再結成した。つまり結局は、ブライアンとワードが入れ替わり、キャプテンがギターを担当するようになっただけではあるが、今までの楽曲のソング・ライティングの大部分を担っていたブライアンが抜けたことで、結果的にバンドの音楽性は転換し、以前よりもポップ色を強めることになった。

1979年にChiswick Recordsから発表したシングル「ラヴ・ソング」が本国イギリスで大ヒットし、その勢いのままアメリカツアーを敢行。帰国後に3rdアルバム『マシンガン・エチケット』をリリースした。この作品からは多数の曲がシングルカットされており、ダムドのベストアルバムとの呼び声も高い。

1980年、ベースのワードが解雇され、後任にポール・グレイが迎えられた。そして、10月に4thアルバム『ブラック・アルバム』をリリース。バンドの音楽性はより多様になり、サイケデリック・ロック的な要素も強まった。この頃から、キャプテンはソロ活動に重きを置き始める。

1981年、サポートメンバーとしてローマン・ジャグ(キーボード兼ギター)が参加、後に正式加入する。新たに契約したレコード会社がことごとく倒産するなどの不運が続き、バンドの存続が危ぶまれる時期ではあったが、なんとか翌1982年にはアルバム『ストロベリーズ』をリリースする。しかし、このアルバム制作途中にポールが脱退。ジャグの紹介で、ブライン・メリックがベーシストとして急遽加入する。

1984年、キャプテンがソロ活動専念のために脱退。バンドの活動は区切りの時期を迎えた。キャプテン脱退後のダムドは、ヴァニアン色を強めたゴシック・ロック風の作風へと転換する。そして、翌1985年MCAレコードからアルバム『ファンタスマゴリア』をリリース。続いて1986年12月には、7枚目のアルバムとなる『エニシング』をリリースした。

1988年には、初期オリジナルメンバーのブライアンとキャプテンを加えた編成でライブを行った。その模様は、翌1989年に発表されたライブアルバム『ファイナル・ダムネイション』に収められている。さらに、1990年にはオリジナルメンバーのみでアメリカツアーを行い、また、来日もしている。

1995年11月、9年ぶりのオリジナルアルバムとなる『I'm Alright Jack & the Beanstalk』(『Not of This Earth』)リリース。この作品はバンド外部のライターによる楽曲も多い。また、この頃、ヴァニアン、キャプテン側とラットが音源の権利のことで揉めたようで、結果、1996年にラットが脱退し、キャプテンが再加入している。

そして、2001年、9thアルバム『Grave Disorder』をリリース。メンバーもひさしぶりに固まり2005年には来日し、小規模なツアーを行った。

2008年11月に約7年ぶりとなる10thアルバム『So, Who's Paranoid?』をリリース。 しかし前作『Grave Disorder』同様、国内盤は発売されていない。

ディスコグラフィー

アルバム

ライブアルバム

  • ライブ・シェパートン 1980 - Live Shepperton 1980 (1982年)
  • ノット・ザ・キャプテンズ・バースデイ・パーティー - Not the Captain's Birthday Party? (1986年)
  • ファイナル・ダムネイション - Final Damnation (1989年)

ライブDVD

  • Tiki Nightmare(2006年)
  • Machine Gun Etiquette: 25th Anniversary(2006年)

※このDVDには、約30年前のロンドンパンク全盛時のクラッシュとダムドのセッションや、ダムドの曲「NEW ROSE」をキャプテン、ラットと一緒にジョー・ストラマーがふざけながら歌っている姿など、かなり貴重な映像が特典として収録されている。

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

  • ただし、デイヴ自身は1stCDライナーノートにて「(墓堀り人夫をしていたと言われたのは)そりゃデマだ。本当はマルコム・マクラーレンを通して(メンバーと)知り合ったんだ。」とコメントしている。