LF+R

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LF+Rえるえふあーる)は、1999年3月から2003年3月まで約4年間に渡り実施されていたニッポン放送のヤングタイム・深夜放送枠(放送時間は21:30〜28:30(翌朝4:30))の総称である。

概要

1999年3月29日に開始。同局のコールサインであるJOLFに「Love & Friends + Radio」(ラブアンドフレンズレディオ)という意味を掛けたものである。

従来の「オールナイトニッポン」に加え、平日や土曜日・日曜日に「LF+R」の名を冠した番組を放送していた。

また、この頃は時報前に次番組予告として「ニッポン放送 LF+R。このあとは〝●●(番組名)〟です。時刻は○時です。」というものが流れていた。

LF+Rで採用していた電子メールアドレス「 (@) allnightnippon.com」は当初ニッポン放送の昼の番組でも使われていた(〜1999年9月。その後は現在の「@1242.com」に変更。夜のヤング番組は従前どおりだが、金子達仁のSports Press川嶋あい 勇気の唄など一部の番組では「@1242.com」のドメインが使われている)。

オールナイトニッポンへの影響

この「LF+R」の開始により、「オールナイトニッポン」ではさまざまな変化が見えた。

  • 開始時間帯が大幅に前倒しされたうえで2部制から3部制となる。
  • 夜帯が下記のように改題。

また1990年代末にオールナイトのパーソナリティも経験した平野友康などの協力の下、メールインターネット放送などに対応した公式サイト「www.allnightnippon.com」を開設するなど時代を先取りした画期的な大改編となった。

その一方で、LF+R開始後、「allnightnippon SUPER!」等では以下のような問題点が発生した。

  • 地方の夜ワイド番組との兼ね合いの問題が間に合わず、旧1部のパーソナリティを引き継いだSUPER枠がニッポン放送単局での放送にとどまった。
  • 一方、もう一つの柱であったインターネット放送も、1999年の時点ではインターネットの常時接続システムが現在ほど普及していなかった。
  • 1999年秋以降、ローカル番組や別なネット番組に代わり、super枠をネットする地方局が増えたため当時の狙いはある程度達成したが[1]、他方で、一部のJRN系ラジオ局[2]はTBSラジオ『BATTLE TALK RADIO アクセス』を受け入れることとなり、同時に『アクセス』の地方ネットも同時進行することとなり、TBSラジオとニッポン放送(後に文化放送のレコメン!関東ローカル枠)の夜ワイド番組の販売合戦の原因となる。
  • 人気があった旧1部パーソナリティを時間の浅い22時台に移したことで、スポンサーとの関係などからトークやコーナー内容に規制がかかり、パーソナリティは番組を深夜帯ほど自由に行うことが難しくなり、番組自体も深夜帯に比べ若年の聴取者層にも対応しうる内容が求められた[3]
  • 一方でcom枠はWebを活用した実験的な企画で番組制作を行い、前例のない試みを行うという意味ではこの時間帯で行う意味があったと言えるが、トーク・ネタコーナーを中軸に据えた旧態依然とした「深夜放送」というシンプルな編成は少なくなった。
  • 新時代のオールナイトニッポンを作るという名目で、22時から28時30分(29時)までをオールナイトニッポンの枠として捉え、半年間com枠では『BITTERSWEET SAMBA(ビタースウィート・サンバ)』を流さなかった。
  • 葉書の受付を廃止(FAX、メールのみ)[4]
  • 日曜も含めた時間枠の拡散[5]

しかし半年後の1999年10月に方針を大きく転換、ナインティナインがSUPER枠からcom枠に戻り、水曜com担当のaiko同様、箱番組なしの2時間フルスタイルをとり、月曜com担当のココリコを始めとした大半の番組が従来のトーク・コーナー重視に方針転換(ただしココリコのcomでは藤井隆の箱番組が最後まで残った)した。

放送枠終了とその後

その後、2000年に土曜深夜の23:30 - 25:00の90分枠に、福山雅治を再起用した『福山雅治のallnightnippon saturday special・魂のラジオ』を立ち上げたり、番組間の連携を強めた企画を行ったが、聴取率やスポンサー回復には至らず、TBSラジオJUNK」の開始などにより聴取率が低下、2003年3月で「LF+R」は終了した。それに伴い夜帯が下記のように改題された。

「LF+R」に関しては狙い通りでなく失敗したという評価もあり、語られることがあまりない[6]

ちなみに「LF+R」放送時には、誌面広告などでは「さよならニッポン放送、さよならオールナイトニッポン」というキャッチコピーがなされていた。

LF+Rの中で放送されていたワイド番組

※印のついたものはニッポン放送ローカルで、ネット局はなかった(また、allnightnippon SUPER!も1999年9月まではニッポン放送ローカルだった)。

また、BSデジタル本放送が開始された2000年12月からは、BSフジとニッポン放送事業開発局の制作で『LF+Rモーニング YOUNG LIVE JAPAN』『ヤングライブニッポンLF+RミュージックTV』が毎週月〜金曜日に放送されていた時期があった(フジテレビ721でも同時放送された)。

脚注

  1. それらの局の大半は文化放送の『LIPS PARTY 21.jp』もSUPER枠とcom枠の間の隙間番組として同時にネットした。多くの地方局が現在でもこのような状態が続き、22時台〜23時台にかけてのLF枠→24時台のQR枠→当番組枠という流れの地方局が多くなる
  2. SUPER枠をネットしなかったクロスネット局(新潟放送など)もしくはSUPER枠を受け入れたNRN系単独局に対してのライバル局。信越放送等は曜日によって分けて両方ネットした
  3. ナインティナインはこの問題に言及し、旧1部最終回の際に「半年後には25時台に戻ってくる」というコメントをした
  4. 1999年の時点では携帯電話からのメール送受信サービスも普及しておらず(Iモードサービスも1999年2月に開始されたばかりであった)、FAXもしくはパソコンからのメール利用に頼るしかなかった
  5. 各所に時間枠が拡大したため、地方によってはSUPER枠とcom枠でネット局が変わるといった現象も起きていた(現在も。詳しくは各番組ネット局一覧およびallnightnippon SUPER!にて)
  6. 「ラジパラ」2007年版(三才ブックス)にてニッポン放送編成局制作部副部長(当時)の節丸雅矛の当時の経緯やこれからのオールナイトニッポンへの方向性について振り返ってもらった記事がある

関連項目