黄金の三角地帯

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黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)の位置

黄金の三角地帯(おうごんのさんかくちたい、テンプレート:Lang-th)とは、東南アジアのタイミャンマーラオスの3国がメコン川で接する山岳地帯で、ミャンマー東部シャン州に属する。別名ゴールデン・トライアングルテンプレート:En)と呼ばれ、アフガニスタンパキスタンイラン国境付近の黄金の三日月地帯テンプレート:En)と並ぶ世界最大の麻薬覚醒剤密造地帯であった。現在では経済成長や取締強化により、タイやラオスでの生産は減少傾向にあるが、逆にミャンマーのシャン州ではいくつかの軍閥が麻薬生産のみならず覚せい剤の製造も行い、さらには合法ビジネスを行うなど、二極化の傾向にある。

ミャンマー

19世紀から麻薬原料のケシ栽培が始まった。第二次世界大戦後には、中華人民共和国の成立により国を追われた中華民国の残党武装組織が、ビルマ政府の支配が希薄なシャン州ワ族地域に入り込み、独立志向の強い少数民族を率いて「半独立国」を形成し、活動資金源にした。その後、ミャンマーでは中国国民党残党に代わり、ビルマ共産党が麻薬を資金源として当時のビルマ政府に武装闘争を展開。中国国民党残党から独立したクン・サ率いるテンプレート:仮リンクも独自に麻薬ビジネスを行うなど、ミャンマーの政情不安に付け込む形で麻薬が産業化していった。

1996年に、“シャン族の独立支援”を名目にモン・タイ軍の司令に長年君臨した「麻薬王」のクン・サがミャンマー軍事政権に本拠を明け渡した。しかし、この投降は軍事面に限られ、クン・サは身柄が拘束されることなくミャンマー国内でビジネスに従事した。また、ワ州連合軍やシャン州軍は麻薬生産を続行するなど、その後も麻薬の密造や密売が横行し続けており、覚せい剤の製造も増えつつある。タイ政府は2004年、この地帯での年間の麻薬原料生産量が推定で2,500-3,000トンに上ると発表した。いずれの組織もミャンマー政府と和平を結んだものの、武装解除はほとんど行われておらず、ミャンマー政府に反抗的態度を取らないことになっただけであった。

一方、こうした資金を得てミャンマー国内や隣国タイでホテル経営など合法的なビジネスに着手する組織も多い。ミャンマー政府は麻薬取締に注力しているものの、麻薬産業が同国の政治趨勢に起因していることや同政府軍に拮抗できる軍事力を備えていることから、強硬策よりも懐柔策を取らざるを得ない現状がある。

2002年、ケシ栽培禁止令が出て、サトウキビ畑などへの転換が大きく進んでいる。

タイ

タイでは麻薬の取締が厳しく、ミャンマー、ラオス両国に対してケシ畑の撲滅を求めているが、両国では貧しい農家にとっての大きな収入源となっていることから、依然として違法なケシ栽培が後を絶たない。その一方、各国政府及び国連機関はケシに代わる換金作物としてコーヒーの栽培を奨励し、高価な品種の烏龍茶の栽培で成功している地域がある(ドイトンコーヒーなど)。特に元国民党系の在住中国人が栽培するジャスミン茶は、大陸反攻を断念した台湾政府が在タイ国民党軍残党に「手切れ金」「補償」として譲渡したもので、最高級の中国茶と言われている(台湾には国民党が『中華民族』の正当性の証明のために大陸より運び込んだ文化財・人材や技術が多数あり、中国茶に関しても大陸より台湾のほうが良質のものが残っていた)。取締強化や経済成長によってタイ北部では麻薬生産はほぼ消滅したといわれる。

最近では治安もよくなり観光客も立ち入れるようになっている。

関連項目