魚島村

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テンプレート:Infobox 魚島村(うおしまむら)は、愛媛県東予地方にあったである。有人島として、魚島高井神島とがある。

1947年には人口1,700人を越えていたが、過疎化が進み、閉村直前には約290人にまで人口減少が進み、西日本一の小規模自治体となった。「学校は地域の灯台」の理念を掲げ、村民大募集により廃校の危機を乗り越え、下水道普及率100%達成、愛媛県内自治体初のケーブルテレビ (CATV) 導入など、離島で集落が小規模に凝縮された村だからこそ可能ともいえるユニークな施策を推進し、全国の小規模離島のモデルとして注目された村であった。

詳細は各島の記事を参照のこと。

地理

芸予諸島魚島高井神島(有人は2島のみ)他からなる離島の村。

歴史

  • 1879年明治12年) - 村制実施。
  • 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行に伴い弓削村に編入。
  • 1895年(明治28年)9月12日 - 弓削村から分離し、魚島村となる。
  • 1995年平成7年) - 村制100周年。
  • 2004年(平成16年)10月1日 - 上島諸島4か町村で合併、自治体としての魚島村の歴史を閉じる。
魚島村の系譜
(町村制実施以前の村) (明治期)        (昭和の合併)     (平成の合併)
            町村制施行時       昭和28年1月1日
佐島  ━━┓                  町制施行
上弓削 ━━╋━━━━━弓削村━┳━━━━━━━━弓削町━━━━┓ 平成16年10月1日
下弓削 ━━┫         ┃ あ             ┃  新設合併
魚島  ━━┛         ┗━魚島村━━━━━━━━━━━╋━━上島町
             生名村━━━━━━━━━━━━━━━━┫
             岩城村━━━━━━━━━━━━━━━━┛

あ - 明治29年9月12日 分立
(注記)生名村以下の町村の合併以前の系譜はそれぞれの町・村の記事を参照のこと。

行政

  • 村長 - 佐伯真登(さいきまさと)
  • 庁舎

4 - 6階建て。これは産業の頼みの因島にある因島市役所(現尾道市因島総合支所)より大きい構造である。

  • 昭和の合併
    離島であり、合併困難町村として経験していない。
  • 平成の合併
    魚島村は愛媛県越智郡に属するが同郡内の他の町村のいずれとも距離のある離島で市町村合併の効果はきわめて限られており、むしろ「役場がなくなる」ことで過疎化に拍車がかかる恐れがあった。このことを佐伯元村長も絶えず主張してきた。しかしながら零細規模の村として単独で生き残ることにも不安があり、同村としては苦渋の決断の結果、弓削町をはじめとした上島諸島の町村と合併することになった(形態としては新設合併)。
    なお、明治期に一時弓削村と合併したが,支障が多く後に分離した経緯がある。

産業

因島か岩城の造船所で働くか漁業などをするしかない。

教育

村内に高等学校はない。

交通

航路

村営航路により弓削島を経由し因島と結ばれている。

鉄道

町内に鉄道はない。

道路

町内に国道、主要県道はない。

関連項目