静岡学園中学校・高等学校
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(静岡学園高等学校から転送)
静岡学園中学校・高等学校(しずおかがくえんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、静岡市葵区東鷹匠町にある私立中学校・高等学校。略称は、「静学」(しずがく)。静岡市内では、「学園」でも通じる。
春夏冬の長期休みには、特別授業を行っている。
以前は、静岡市駿河区聖一色に所在していたが、隣接する静岡県草薙総合運動場の改修計画に伴い旧静岡県立静岡工業高等学校跡地に移転。[1] 2009年4月7日、移転概要・建設計画が住民説明会で公表され、その後、県議会を経て2011年4月に移転することが正式決定した。 なお、移転に伴い、新カリキュラムを採用した教養科学科を設置することも発表された。
特徴
- 校訓
- 誠実 - 質素、清楚、気品ある人格の形成をめざす
- 愛敬 - 学、友、和を愛し、知性豊かな人間像をめざす
- 剛勇 - 剛、健、協に富んだ機能的な人材の完成をめざす
- 孝友三心
- 一、服する心 親の気持ちに応える。先生の指導に従う。先輩のことばに耳を傾ける。道理に服する。
- 二、感謝する心 親の恩、師の恩、友のありがたさをしみじみと感ずる。生命を支える一粒の米、一杯の水にも感謝の念を持つ。
- 三、全うする心 どんな小さなこともなげやりにしない。どんな困難にあっても屈しない。責任を持って最後まで頑張る。信頼できる人になる。
- 孝友精神の表現
- 一、定められた髪形によって心身の清純を保つ。
- 二、服装を端正にし、言動を慎む。
- 三、礼儀を重んじ、挨拶を励行する。
- スクールカラー
- 緑
- 指定のカバン - 緑(SHIZUOKAGAKUENという文字は黄色)、茶色(2011年度より)
- 制服
- 男子 - 詰襟標準学生服(黒)夏は半袖(ポケットにSHIZUGAKUと書いてある)
- 女子 - ブレザー(紺)夏は男子と同様
沿革
- 1963年(昭和38年)4月 - 静岡市聖一色226-3の校地に鉄骨2階建校舎120坪を新築し、静岡学園大学予備校商業科を設立。(修業年限2ヶ年)
- 1964年(昭和39年)1月 - 静岡高等実務学校として独立し、牧野明学校長に就任。(修業年限を3ヶ年に改正)
- 1965年(昭和40年)9月 - 高等学校新設を計画し、6000坪を目標とする校地の拡張に併行して、鉄筋コンクリート3階建320坪の第1期工事に着手。
- 1965年(昭和40年)12月 - 学校法人静岡学園より校地、校舎その他の基本財産の寄附を受けて静岡学園高等学校を設立し、学校長に牧野賢一就任。
- 1966年(昭和41年)4月 - 全寮制普通科進学課程45名(1クラス)商業科185名(4クラス)の新入学生を迎え、8日入学式を行う。
- 1967年(昭和42年)4月 - 校旗・校歌の制定式を駿府会館において挙行
- 1967年(昭和42年)12月 - 静岡学園創立15周年記念式を駿府会館にて挙行(静岡学園大学予備校、同草薙幼稚園と共催)
- 1970年(昭和45年)10月 - 学校長牧野賢一、喜寿の祝賀会を開催
- 1970年(昭和45年)11月 - 開校5周年記念式を挙行
- 1971年(昭和46年)4月 - 理数科(1クラス)新設
- 1971年(昭和46年)7月 - 第53回全国高等学校野球選手権静岡大会に優勝。同年8月第53回全国高等学校野球選手権大会(甲子園球場)に出場、準々決勝に進出
- 1975年(昭和50年)11月 - 静岡学園創立20周年記念・静岡学園高校10周年記念式挙行
- 1976年(昭和51年)1月 - 全国高等学校サッカー選手権大会静岡県大会初優勝。第55回全国高校サッカー選手権大会準優勝
- 1995年(平成7年)1月 - 第74回全国高校サッカー選手権大会優勝
- 2009年(平成21年)4月 - 現在地への移転概要・建設計画を住民説明会で公表。静岡県議会を経て葵区東鷹匠町への移転が決定
- 2009年(平成21年)8月 - 第40回全国中学校サッカー大会優勝
- 2011年(平成23年)4月 - 現在地に移転。教養科学科設置
部活動
- 運動部
- サッカー部
- 柔道部
- 体操部
- 野球部
- 卓球部
- テニス部
- バスケットボール部
- 剣道部
- バレーボール部
- 陸上部
- ハンドボール部
- ゴルフ部
- 水泳部
- 応援指導部
- 文化部
- 文芸部
- 合唱部
- 百人一首部
- 囲碁将棋部
- 茶道部
- 華道部
- パソコン部
- 写真部
- 書道部
- 演劇部
- 歴史研究部
- 吹奏楽部
- 美術部
- 理科部
サッカー部
サッカー部は、個人技をベースとしたショートパスをつなぐスタイルが伝統となっている。全国初登場となった1976年の第55回全国高等学校サッカー選手権大会では、その独特なスタイルが注目を集め、初出場ながら準優勝。プロの監督として、井田勝通が1972年から2008年まで指導していた、1995年の第74回大会では全国制覇(鹿児島実との両校優勝)を達成した。2003年には全日本ユース選手権準優勝。
また、2002年には中学にもサッカー部が作られ、U-14東海大会優勝、U-14全国大会3位などの成績をおさめている。2008年にはJFAプレミアカップで優勝し、イギリスで行われた世界大会へ出場した。2009年には全国中学校サッカー大会で優勝した。
これまで長い間、高校総体(インターハイ)への出場は叶わなかったが、2010年沖縄大会に総体初出場。 翌2011年大会も連続で出場を決め、決勝まで進出。準優勝を成し遂げた。
交通
主な学校関係者
- 森下申一(サッカー選手、日本代表、サッカー指導者)
- 池田司信(サッカー選手、サッカー指導者)
- 杉山誠(サッカー選手)
- 松永英機(サッカー選手、サッカー指導者)
- 三浦泰年(サッカー選手、日本代表)
- 向島建(サッカー選手)
- 三浦知良(サッカー選手、日本代表。中退)
- 鈴木正治(サッカー選手、日本代表)
- 今藤幸治(サッカー選手、日本代表)
- 増田忠俊(サッカー選手、日本代表)
- 久保山由清(サッカー選手、日本代表)
- 森川拓巳(サッカー選手)
- 深澤仁博(サッカー選手)
- 石井俊也(サッカー選手、シドニー五輪予選代表)
- 倉貫一毅(サッカー選手)
- 南雄太(サッカー選手、日本代表)
- 坂本紘司(サッカー選手)
- 永田充(サッカー選手、日本代表)
- 谷澤達也(サッカー選手)
- 杉山浩太(サッカー選手、北京五輪予選代表)
- 小林祐三(サッカー選手、北京五輪予選代表)
- 山本海人(サッカー選手、日本代表)
- 狩野健太(サッカー選手)
- 杉浦恭平(サッカー選手)
- 國吉貴博(サッカー選手)
- 杉山力裕(サッカー選手)
- 山本真希(サッカー選手)
- 中村友亮(サッカー選手)
- 加門亮兵(サッカー選手)
- 松下幸平(サッカー選手)
- 安藤淳(サッカー選手)
- 櫻田和樹(サッカー選手)
- 菅原太郎(サッカー選手)
- 渡辺誠(サッカー選手、サッカー指導者)
- 山崎哲也(サッカー選手、サッカー指導者)
- 松山大地(サッカー選手、サッカー指導者)
- 塩川岳人(サッカー選手、サッカー指導者)
- 吉田豊(サッカー選手、ロンドン五輪予選代表)
- 先崎勝也(サッカー選手)
- 柏瀬暁(サッカー選手)
- 吉野峻光(サッカー選手)
- 大島僚太(サッカー選手)
- 伊東幸敏(サッカー選手)
- 青木真也(格闘家)
- 石野卓球(DJ、ミュージシャン電気グルーヴ)
- 平野貴大(俳優)
- 波多野和也 - プロバスケットボール選手(bjリーグ・島根スサノオマジック所属):2001年卒業
- 鈴木正晃(バスケットボール選手)
- 黒川真一朗(歌手)
- 末高弘之(技術者。初めてデジタルカメラを作った)
- 赤田龍一郎(プロ野球選手)
- 佐藤和哉(柔道家)
- 黒柳大喜(実業家)
- キャプテン渡辺(お笑い芸人)
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:高円宮杯U-18サッカーリーグ テンプレート:全国高等学校サッカー選手権優勝校
テンプレート:Asbox- ↑ 静岡工業高校は当時、所在地を太田町としていたが、敷地の大部分は瓦場町であるものの太田町、東鷹匠町の3町にまたがり、静岡学園は所在地を「東鷹匠町」としている。(住居表示未実施地区)