豊田合成トレフェルサ
テンプレート:バレーボールチーム 豊田合成トレフェルサ(とよだごうせいトレフェルサ)は、愛知県稲沢市を本拠地とするV・プレミアリーグ所属の男子バレーボールチーム。
目次
概要
チームは、1961年に名古屋ゴム(現・豊田合成)社内のバレーボール愛好家が集まって9人制バレーボールを創部したのが始まりで、1981年に6人制となり現在に至る。
チーム名トレフェルサ(Trefuerza)とは、Tre(イタリア語で「3つ」の意味)とFuerza(スペイン語で「力」の意味)を合わせた造語であり、3つの力、知力、体力、気力を表している。チームキャラクターは「トレフェルサ君」と「パーリオ」と「ベローナ」であり、パーリオ(Pario)とはイタリア語で「勝利者の証」の意味でベローナ(Bellona)とはイタリア語で「戦いの女神」の意味である。[1]
ホームタウンは愛知県稲沢市。練習場は稲沢市内の豊田合成健康管理センターであり、練習見学も一部可能である[2]。
ファンクラブ、公式Twitter、Facebookなど一般ファン向けのコンテンツも設立している。
小学4年生から中学2年生の男子を対象としたジュニアチーム『豊田合成ジュニアトレフェルサ』があり、高校のバレーボール大会(豊田合成トレフェルサ杯)を開催する[3]など、学生年代の競技力向上も目指している。
歴史
1961年に社内バレーボール愛好家が集まって9人制バレー部を創部。当時は体育館がなく、独身寮の中庭にコートを仮設して練習したという[4]。
1981年に6人制に切り替え、会社の強化クラブに位置づけられ、優秀な大学生のスカウトをはじめ本格的な強化が始まった。1984年に地域リーグに昇格。その後、実業団リーグ(現・Vチャレンジリーグ)を目指すも、なかなか昇格できずにいた。地域リーグ在籍10年で、1993年にようやく実業団リーグに昇格する。
実業団リーグでは勝ち星に恵まれず下位に低迷し続け、第25回大会(1993/94シーズン)と第28回大会で最下位での降格を味わうが、夏の全国大会優勝もあり、廃部チームが出たことによる繰り上げ昇格で即座の復帰となっていた[4]。1997年に、休部となった日新製鋼ドルフィンズから元全日本セッター・松田明彦と、多田幹世、澤井亨が入団し、急速にチームの建て直しが進められた[4]。第29回実業団リーグ(1997/98シーズン)を14戦全勝で優勝し、一気にVリーグ(現・V・プレミアリーグ)昇格となった。
初参戦となった第5回Vリーグ(1998/99シーズン)では9位。入替戦で勝ち残留を果たす。第6回でも9位となりまたも入替戦出場となり、今度は日立国分トルメンタに連敗してV1リーグ(実業団リーグより名称変更)降格となる。第3回V1リーグ(2000/01)で14戦全勝で優勝するも、入替戦で敗れVリーグ復帰ならず。第4回大会で2大会連続の14戦全勝優勝を果たし、Vリーグ出場決定戦で連勝して3年ぶりのVリーグ復帰を果たした。
Vリーグ復帰を果たした2002年に、内定選手の盛重龍、朝長孝介が正式入団し、廃部になった富士フイルムから諸隈直樹・川浦博昭が入団した。復帰後の第9回Vリーグ(2002/03)では4勝止まりの7位となる(入替戦に勝って残留)が、第10回大会では、川浦、諸隈、盛重、外国人選手マックス・ペレイラらの活躍で、10勝11敗で1勝差でファイナルラウンド進出を逃す6位に入った[5]。しかし、リーグ戦の試合数が増えた第11回は7位となる(入替戦に勝って残留)。
2005年に松田が監督に就任し、松下電器から北川祐介が移籍加入。全日本選手登録された諸隈がキャプテンに就任した。第12回Vリーグ(2005/06)は7位となる(入替戦に勝って残留)が、2006/07V・プレミアリーグ(Vリーグより改称)では、廃部になった旭化成から甲斐祐之が入団して攻撃力がアップし、川浦と北川のセンター陣も力を発揮して初の4強入りを果たした[5]。同シーズンの第56回黒鷲旗全日本選抜大会で初の準優勝を果たす(優勝はNECブルーロケッツ)。2009/10V・プレミアリーグでも4位に入った。
2010年、松田監督がアドバイザーに就任し、新たに安原貴之コーチが監督に昇格した。2010/11V・プレミアリーグは6位、2011/12シーズンも6位となった。
2012年以降は学生年代の競技力向上にも力を注ぐようになる。2012年4月に小学4年生から中学2年生の男子を対象としたジュニアチーム『豊田合成ジュニアトレフェルサ』を発足した[6][7]。
2012年10月8日、ぎふ清流国体で優勝し、チーム初の全国優勝を果たした[8]。しかし、2012/13・Vプレミアリーグは上位の壁を打ち破れず5位で終わる。
2013年3月には高校生男子チームの競技力向上を目的とした「第1回豊田合成トレフェルサ杯」を開催した[3]。
2013年4月、安原監督の退任が発表され[9]、後任としてスウェーデン出身のアンデッシュ・クリスティアンソンの就任が発表された[10]。同年10月、国民体育大会成年男子の部において二連覇を達成した[11]。
成績
主な成績
- 優勝 なし
- 準優勝 なし
- 優勝 なし
- 準優勝1回(2007年)
- 優勝 2回(2012年、2013年)
年度別成績
大会名 | 順位 | 参加チーム数 | 試合数 | 勝 | 敗 | 勝率 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
実業団リーグ | 第25回 (1993/94) | 8位 | 8チーム | 14 | 1 | 13 | 0.071 |
第26回 (1994/95) | 6位 | 7チーム | 12 | 4 | 8 | 0.333 | |
第27回 (1995/96) | 7位 | 8チーム | 14 | 2 | 12 | 0.143 | |
第28回 (1996/97) | 8位 | 8チーム | 14 | 1 | 13 | 0.143 | |
第29回 (1997/98) | 優勝 | 8チーム | 14 | 14 | 0 | 1.000 | |
Vリーグ | 第5回 (1998/99) | 9位 | 10チーム | 18 | 2 | 16 | 0.111 |
第6回 (1999/00) | 9位 | 10チーム | 18 | 2 | 16 | 0.111 | |
V1リーグ | 第3回 (2000/01) | 優勝 | 8チーム | 14 | 14 | 0 | 1.000 |
第4回 (2001/02) | 優勝 | 8チーム | 14 | 14 | 0 | 1.000 | |
Vリーグ | 第9回 (2002/03) | 7位 | 8チーム | 21 | 4 | 17 | 0.190 |
第10回 (2003/04) | 6位 | 8チーム | 21 | 10 | 11 | 0.476 | |
第11回 (2004/05) | 7位 | 8チーム | 28 | 9 | 19 | 0.321 | |
第12回 (2005/06) | 7位 | 8チーム | 28 | 6 | 22 | 0.214 | |
V・プレミアリーグ | 2006/07シーズン | 4位 | 8チーム | 28 | 16 | 12 | 0.571 |
2007/08シーズン | 5位 | 8チーム | 28 | 14 | 14 | 0.500 | |
2008/09シーズン | 6位 | 8チーム | 28 | 12 | 16 | 0.429 | |
2009/10シーズン | 4位 | 8チーム | 28 | 16 | 12 | 0.571 | |
2010/11シーズン | 6位 | 8チーム | 24 | 9 | 15 | 0.378 | |
2011/12シーズン | 6位 | 8チーム | 21 | 7 | 14 | 0.333 | |
2012/13シーズン | 5位 | 8チーム | 28 | 12 | 16 | 0.429 | |
2013/14シーズン | 5位 | 8チーム | 28 | 15 | 13 | 0.536 |
選手・スタッフ
選手
テンプレート:バレーボールのポジション 2014年8月版[12]
背番号 | 名前 | シャツネーム | 国籍 | P | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 井上崇昭 | INOUE | テンプレート:Flagicon 日本 | WS | |
2 | 山近哲 | YAMACHIKA | テンプレート:Flagicon 日本 | MB | |
3 | 重村健太 | SHIGEMURA | テンプレート:Flagicon 日本 | S | |
4 | 高松卓矢 | TAKAMATSU | テンプレート:Flagicon 日本 | WS | |
5 | 前田一誠 | MAEDA | テンプレート:Flagicon 日本 | S | |
6 | 近裕崇 | KON | テンプレート:Flagicon 日本 | MB | |
7 | 白岩直也 | SHIRAIWA | テンプレート:Flagicon 日本 | WS | |
9 | 加藤伊織 | KATO | テンプレート:Flagicon 日本 | MB | |
10 | 古賀幸一郎 | KOGA | テンプレート:Flagicon 日本 | L | 主将 |
11 | 深津貴之 | FUKATSU | テンプレート:Flagicon 日本 | WS | |
12 | 内山正平 | UCHIYAMA | テンプレート:Flagicon 日本 | S | |
13 | 岡本秀明 | OKAMOTO | テンプレート:Flagicon 日本 | WS | |
14 | 幡司一貴 | KAZUKI | テンプレート:Flagicon 日本 | MB | |
15 | 黒澤雄介 | KUROSAWA | テンプレート:Flagicon 日本 | WS | |
17 | 佐々木恵三 | SASAKI | テンプレート:Flagicon 日本 | OP | |
19 | 古賀太一郎 | TAICHIRO | テンプレート:Flagicon 日本 | L | |
22 | 傳田亮太 | DENDA | テンプレート:Flagicon 日本 |
スタッフ
役職 | 名前 | 国籍 |
---|---|---|
顧問 | 藤原信夫 | テンプレート:Flagicon 日本 |
シニアゼネラルマネージャー | 横井俊広 | テンプレート:Flagicon 日本 |
副部長 | 水川松根 | テンプレート:Flagicon 日本 |
副部長 | 沖隆夫 | テンプレート:Flagicon 日本 |
事務局長兼 ジュニアチーム監督 |
川浦博昭 | テンプレート:Flagicon 日本 |
マネージャー | 窪田真登 | テンプレート:Flagicon 日本 |
外部派遣 | 松永理生 | テンプレート:Flagicon 日本 |
監督 | アンデッシュ・クリスティアンソン | テンプレート:Flagicon スウェーデン |
チーフコーチ | 藤田和広 | テンプレート:Flagicon 日本 |
コーチ | 佐藤和哉 | テンプレート:Flagicon 日本 |
コーチ | ペールエリック・ダルクヴィスト | テンプレート:Flagicon スウェーデン |
トレーナー | 古田和久 | テンプレート:Flagicon 日本 |
ドクター | 塚原隆司 | テンプレート:Flagicon 日本 |
在籍していた主な選手
- 五十嵐元
- 甲斐祐之
- 島野俊一
- 花野裕祥
- 浜崎勇矢
- 北川祐介
- 山本英之
- 高橋幸造
- 松永理生
- 川浦博昭
- 丸山祥二
- 高橋和人
- 森佑之
- 佐藤和哉
- 杉山マルコス
- テンプレート:Flagicon トーマス・サムエルボ
- テンプレート:Flagicon エルナルド・ゴメス
- テンプレート:Flagicon ビッタール・ファビアノ
- テンプレート:Flagicon アンジェルコ・チュク
- テンプレート:Flagicon レオナルド・メロ
ユニフォーム
- ユニフォームサプライヤー
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:豊田合成トレフェルサ テンプレート:Vリーグ男子
テンプレート:日本の男子バレーボールチーム