謗法
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テンプレート:Sidebar 謗法(ほうぼう、ぼうほう)は、誹謗正法(ひぼうしょうぼう)の略で、日本の仏教、あるいは一部の宗派間で使われる用語である。
“誹謗正法”とは、仏教の正しい教え(正法)を軽んじる言動や物品の所持等の行為を指す。誹・謗とは“そしる”、つまり貶(けな)す、腐(くさ)す、非難するなど、悪く罵(ののし)ることである。
語の基本的意味としては仏教各宗派とも共通ではあるが、どの行為が「誹謗正法」に当たり、どの行為があたらないかについては、宗派によって、また極端な場合には人によって異なる解釈をしている。
自宗に対する積極的な批判や攻撃・弾圧などのみを謗法と呼んでいる宗派もあり、他宗の本尊を拝むことを謗法としている宗派もあり、他宗に少しでも関連した物品の所持や儀礼行事への参加まで何もかも謗法としている宗派もある。
釈迦仏の滅後、二千年以降の末法の時代に、釈迦の力が及ばなくなったとして、それらの寺や神社のことを謗法と呼ぶ宗派もある。また、末法の時代に仏法の伝道師の命を背負ったとする日蓮や、その仏法の教え自体を謗ることを謗法と呼ぶ見方が多い。
十四誹謗(じゅうしひぼう)
湛然の十四誹謗の説に依拠して、「わが宗のどんな高僧や大檀那と称される人でも凡夫である以上完璧はありえず、日々、無数の謗法を犯しているのである。ましてや高僧でも大檀那でもない自分ごとき者は、信仰に対する慢心や油断等を厳に慎んでいかねばならない」といった内省的観点からこの言葉が説かれる場合もある。『法華文句記』巻6に説く。
- 憍慢(きょうまん) - 増上慢と同義。慢心。おごり高ぶり仏法を侮ること。
- 懈怠(けたい) - 仏道修行を怠ること。
- 計我(けいが) - 我見と同義。人間我に執着し、自分考えで仏法を判断すること。
- 浅識(せんしき) - 自身の浅はかな知識によって正法を否定すること。
- 著欲(じゃくよく) - 欲望に執着して仏法に不信すること。
- 不解(ふげ) - 仏法を理解しようとせず自己満足すること。
- 不信(ふしん) - 仏法を信じないこと。
- 顰蹙(ひんじゅく) - 顔をしかめて仏法を非難すること。
- 疑惑(ぎわく) - 仏法を疑い惑うこと。
- 誹謗(ひぼう) - 仏法を謗(そし)り悪口を言うこと。
- 軽善(きょうぜん) - 仏法の善を信受する者を軽く見る・蔑視すること。
- 憎善(ぞうぜん) - 仏法の善を信受する者を憎むこと。
- 嫉善(しつぜん) - 仏法の善を信受する者に嫉妬すること。
- 恨善(こんぜん) - 仏法を信受する者に対して恨みを抱くこと。