親和会 (高松)

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テンプレート:Infobox Criminal Organization 親和会(しんわかい[1])は、香川県高松市に本部を置く暴力団指定暴力団であり、構成員総数は2007年暮れの警察庁の報告によればおよそ70人。[2] 二代目本多会系北原組を前身としている。

来歴

北原組

テンプレート:未検証 初代組長・北原伝次郎矢野清太郎に仕えたが、独立し北原組を結成。昭和20年代に本多会初代会長・本多仁介の舎弟となった。

1947年頃、太政官系の組織と抗争事件を起こした。暫くして北原伝次郎が地元の市議会議員に当選した。1959年12月に娘婿の柴田敏治が二代目を継承し、本多会直参となった。

1965年、柴田敏治が初代と同じく市議選に出馬する事となり、二代目北原組は解散した(同年上部団体の本多会も解散している)。

親和会

1965年に解散した二代目本多会 二代目北原組(組長・柴田敏治)の幹部だった細谷勝彦を会長に1967年頃、高松親和会(たかまつしんわかい)として結成された。1971年親和会に改称した。

1971年若林組抗争事件を起こし、1982年、同じく若林組と抗争(高松抗争)を起こし、阪神懇親会が仲裁した。1984年新高松抗争を起こすなど、他組織との抗争を繰り返し、現在でも独立系を守っている。

1992年12月、香川県公安委員会から指定暴力団に指定された。 2005年2月には五代目山口組 三代目山健組 七代目中津川組(組長・長尾昌志)との抗争を起こした。4月には山口組 五代目豪友会とも抗争を起こし、組員が高知市内の豪友会本部に発砲する事件も起きた。

2005年10月、理事長・吉良博文吉良組組長)が二代目を継承した。 吉良は2006年1月、大阪市内にて開かれた賭博に客として参加していた際に、大阪府警の摘発を受けて、七代目酒梅組系組員らとともに逮捕された(常習賭博容疑)。

2007年、吉良博文が六代目山口組幹部・光安克明と五分兄弟盃を交わし、山口組との友好関係を築いた。

2008年、細谷勝彦が総裁職を退き引退した。

北原組歴代組長

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親和会歴代会長

最高幹部

幹部

出典

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:指定暴力団
  1. 『Police of Japan 2011, Criminal Investigation : 2. Fight Against Organized Crime』 2009年 警察庁 テンプレート:En icon ― p.21 『ニダイメ・シンワカイ(Nidaime Sinwa-kai)
  2. 2.0 2.1 『松江八束建設業暴力追放対策協議会』のHPの「指定暴力団」