藤井富雄
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テンプレート:政治家 藤井 富雄(ふじい とみお、1924年〈大正13年〉8月17日 - )は、日本の政治家。
東京都議会議員(11期)、公明代表(初代)、公明党最高顧問、公明党東京都本部顧問などを歴任した。
経歴
- 旧制日本大学高等工学校(現:日本大学理工学部)卒業。
- 終戦直後に創価学会に入会し、池田大作の側近として折伏大行進時代の学会を支えた。
- 1955年4月 - 第3回統一地方選挙の一つとして実施された東京都練馬区議会議員選挙に無所属で立候補、初当選。創価学会推薦で東京都区内の議会に当選した32人のうちの1人だった。
- 1963年4月 - 第5回東京都議会議員選挙に新宿区選挙区から公明政治連盟公認で立候補し、初当選(以後、連続11回当選)。
- 1967年 - 東京都議会公明党幹事長に就任する。
- 1989年7月 - 東京都議会選挙において、社会党の躍進に貢献し、東京都議団団長に就任する。
- 1994年12月 - 公明党が公明新党(衆議院議員52人、改選期の参議院議員13人)と公明(非改選期の参議院議員11人、地方議会議員3200人)に分党。公明代表に就任する。
- 1998年
- 2004年 - 公明党大会において、公明党最高顧問に就任する。
- 2005年7月 - 第16回東京都議会議員選挙において、選挙地盤を新人候補の吉倉正美に譲り、政界を引退。公明党最高顧問として党発展に尽力する。
- 2006年9月 - 公明党最高顧問を退任し、公明党東京都本部顧問、公明文化協会理事に就任する。
人物
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- 東京都議会では、公明党の内外を含めた有力議員として、東京都政全般に絶大な影響力があり、国政にも太い人脈を持つ。特に自民党の野中広務との関係は、自公連立政権の実現に大きく寄与した。
- 「創価学会の裏仕事を握っており、山口組幹部とも親交がある」との黒い噂が以前より存在していたが、元後藤組組長後藤忠政の回顧録により図らずも証明された形となった。テンプレート:See also
- 一部では、元公明党委員長矢野絢也の手帖強奪事件の黒幕とも言われている。テンプレート:Main
- 2008年3月、妙観講の婦人講員二名が警察に不当逮捕された際、週刊新潮が「所轄警察署に圧力をかけて不当逮捕を実現させたのは公明党の藤井富雄元都議である」と報道した。この件について藤井は正式な抗議・反論は一切行っていない。妙観講側は創価学会違法ビラ事件の民事訴訟で学会が敗訴したことに対する報復であると主張している。テンプレート:Main
役職歴
東京都議会
- 副議長
公明党
- 最高顧問
- 東京都本部顧問
公明
- 代表
- 常任顧問
都議会公明党
- 幹事長
- 議員団長
公明文化協会
- 理事
関連項目
外部リンク
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