紀元前297年
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テンプレート:Yearbox 紀元前297年は、ローマ暦の年である。当時は、「クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌスとプブリウス・デキウス・ムスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元457年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前297年と表記されるのが一般的となった。
できごと
共和制ローマ
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルッリアヌスが4度目の執政官に就任した。彼は、ティフェルヌム近郊の戦いでサムニウムを破った。
ギリシア
- カッサンドロスが病死し、長男のピリッポス4世が後を継いでマケドニア王となった。しかしその直後、ピリッポス4世は消耗性疾患にかかって死去した。そこで、次男のアンティパトロス2世が弟のアレクサンドロス5世と共同統治を行った。
- デメトリウス1世がマケドニアの王位を狙ってギリシアに戻ったが、その留守中にリュシマコスが小アジアにおける彼の財産を奪った。
- プトレマイオス1世は、王国を取り戻そうとするピュロスを支援することを決めた。最初、ピュロスは縁戚のネオプトレモス2世と共同統治を行ったが、すぐに彼を暗殺した。