稲富 祐秀(いなどめ すけひで、永正5年(1508年) - 永禄10年(1567年))は、戦国時代の武将。一色氏の家臣。直時とも。孫に稲富祐直。
丹後国弓木城を領していた。祐秀は当時、鉄砲名人とまで呼ばれた佐々木義国から鉄砲術を学び、天文23年(1554年)には、義国から鉄砲術の印可を受けた。後に、祐秀の鉄砲術は独自の工夫を重ねることによって、「稲富流砲術」として伝えられていった。
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