神石村
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テンプレート:Infobox 神石村(かみいしむら)は、かつて大阪府にあった村である。廃止時点の人口は3,580人、面積1.65km²。現在の堺市堺区石津町、神石市之町[1]、緑ヶ丘北町、霞ヶ丘町などにあたるが、村東部に含まれていた「履中天皇陵」のみ西区(町名は石津ヶ丘)となる。
歴史
「神石」の地名は、市村、踞尾村が属していた「神野荘」と、上石津村が属していた「石津郷」のそれぞれ一字をとったもの。石津川における晒業の中心だった地域である。
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、大鳥郡上石津村、市村、踞尾村が合併して、大鳥郡神石村が発足。大字上石津に村役場を設置。
- 1891年(明治24年)2月25日 大字踞尾が踞尾村として分立。
- 1896年(明治29年)4月1日 郡の統合により泉北郡に属する。
- 1934年(昭和9年) 大字上石津より旭ヶ丘を分立。
- 1938年(昭和13年)2月11日 堺市に編入される。
脚注
- ↑ 市村のこと。堺市街地に「市之町」があったため「神石」を冠している。