神宮大麻

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神宮大麻(じんぐうたいま)とは、祓い具である祓い串の御真(ぎょしん)を包んだ伊勢神宮神札(おふだ)である。

概要

伊勢神宮の御師(おんし)が、頒布した御祓(おはらい)大麻が起源である。これはお祓いをつとめた祓串を箱に入れ配ったものであるテンプレート:Sfn。やがて伊勢講などの講を組織し頒布された。御師時代には、箱に祓い串を入れたもの、あるいは祓い串を剣型のお札で包んだものを頒布した。明治時代の変革を経て、御璽が押され神宮大麻となった。その後も、ご神体である御真(ぎょしん)として包まれている[1]明治時代になると、国家神道の形成により御師の制度は停止され、伊勢講から伊勢神宮が組織した神宮教から全国に頒布された。1873年(明治6年)の伊勢神宮少宮司浦田長民の説明によれば、罪を払い除けする神具である大麻の頒布であるテンプレート:Sfn。1916年(大正5年)の神宮神部署の説明では、起源は修祓(しゅはつ)にあり、今では国家国民に対し祈願した行事によるものであるかあら、神体(しんたい)や分霊(わけみたま)ではなく、崇敬するための標章であるとしているテンプレート:Sfn。 頒布は、神宮教ののちに財団法人神宮奉賛会から、そののちに神社本庁から頒布される。

2011年に頒布された大麻の数は888万545体である[2]

御師

平安鎌倉時代から御祓を勤めさせた例はあるが、御祓の言葉の所見はそれ以降の『吾妻鏡』(あずまかがみ)1180年8月16日に記述される、源頼朝が「一千度御袚」の祈祷を勤めさせたものと言われるテンプレート:Sfnテンプレート:Quotation 御祓は祈祷後に願主に渡されテンプレート:Sfn中臣祓](なかとみのはらえ)を読誦したことから神札の名称として定着したテンプレート:Sfn。当時、庶民が伊勢神宮を敬拝しようと思った時には、御師を通し御祓を行い神楽を奏するしかなかったテンプレート:Sfn。御師の活動が大きくなると代官を地方に派遣したテンプレート:Sfn

室町時代

室町時代には、大麻の頒布が広く行われるようになったテンプレート:Sfn。この時代には、伊勢の御師が檀家回りを行っており、将軍家などには一万度袚のような祈祷が行われたが、一般的には江戸時代の剣御袚に相当する御袚が配られたテンプレート:Sfn。大麻に伴って様々な物品が配布され、それは次第に伊勢暦に定まるテンプレート:Sfn

江戸時代の御祓大麻には、一万度御袚、五千度御袚、一千度御袚、剣御袚があり、一般には剣御袚が配布されたテンプレート:Sfn。御祓大麻祓具(おはらいたいまはらえぐ)は御師が出向いた先で御祓大麻を作るために用いた[2]。御袚を調整するにあたり、中臣祓のほかの祝詞や祈祷文を奏したことから、こうした出先が神明所などとして祀られたテンプレート:Sfn

祓串

一般的に修祓に使う大麻(おおぬさ)は、榊に紙垂(しで)と麻苧をつけたもの、紙垂のみをとりつけたもの、伊勢神宮では麻苧のみをとりつけたものが見られる[3]テンプレート:Main

八針串

御師は八足案(はっそくあん)と呼ばれる案に八針串(やはりぐし)という結束された祓串を立て、度数祓(どすうばらえ)の際に用いた[4]。八足案は箱に収めることができ携帯可能である[4]。これは八座置神事(やくらおきしんじ)と呼ばれ伊勢神宮の恒例祭にも似たものが見られる[5]

神宮大麻の御真

神宮大麻の中の御真は祓串テンプレート:Sfnまたは麻串とも呼ばれる[6]

御璽と大麻

御師制度の停止と変革

明治時代に入ると国家神道の確立の過程で御師の活動は停止する。 テンプレート:Quotation 伊勢の皇大神宮、宇治橋の手前のおはらい町は、かつて御師の屋敷があった場所であるテンプレート:Sfn

1871年(明治4年)12月18日、伊勢神宮大宮司から神祇省に対し、大麻の神号名を「天照皇大神宮」、「皇大神宮御璽」の印を押し神宮司庁の責任で遍く頒布することをうかがい出て、神祇省はこれを承認したテンプレート:Sfn。 翌年1月に、大麻製造局を設け、4月には大麻頒布規則を定めるテンプレート:Sfn。4月1日には、「御璽奉行」が行われ大宮司の北小路随光は、大御璽としての大麻の頒布を奏したテンプレート:Sfn。 1873年(明治6年)12月の『神宮大麻奉祀式』において、少宮司の浦田長民が、毎年神宮から頒布する罪を払除けする神具としての大麻に向かい敬拝することで、罪穢れを消尽するがために、毎朝夕礼拝すべし、というようなことを述べているテンプレート:Sfn

頒布元の変更

1973年(明治6年)に神宮教院が開館し、明治9年2月の神宮教院規則第五条に神宮大麻の頒布を主要な事業としていることが示されるテンプレート:Sfnテンプレート:Quotation

1878年(明治11年)の通達以降、頒布の方法がたびたび変更されるようになるテンプレート:Sfnテンプレート:Quotation

宮家や旧皇族に献上される木箱に入った大きく厚みがある献上大麻も存在する[7]

1882年(明治15年)に神宮教院が神道神宮派として独立し、さらに神宮教となると、大麻頒布は神宮教に委託されるテンプレート:Sfn。さらに1898年(明治31年)には神宮教が神宮奉賛会となり、ここに頒布が委託されるテンプレート:Sfn

信仰の自由において意義が唱えられ、1916年(大正5年)に神宮神部署から説明がなされたが、神宮大麻の起源は大麻(おおぬさ)とも呼ばれる祓い串と祝詞によって修祓(しゅはつ)したもので、今では国家国民に対し祈願した行事によるものであるかあら、神体(しんたい)や分霊(わけみたま)ではなく、したがって本尊のようなものでもなく、崇敬するための標章なので信教の自由と衝突しないとしているテンプレート:Sfn

祭事

大麻修祓式

大麻修祓式(たいましゅはつしき)は随時行われるテンプレート:Sfn

大麻暦奉製始祭

1月8日に、大麻暦奉製始祭(たいまれきほうせいはじめさい)が行われるテンプレート:Sfn

大麻暦頒布終了祭

3月1日に、大麻暦頒布終了祭が皇大神宮神楽殿にて行われるテンプレート:Sfn

大麻用材伐始祭

4月に、大麻用材伐始祭(たいまようざいきりはじめさい)が行われ、神宮林より切り出された用材は、長さ20センチメートル、厚さ1ミリメートルに加工され和紙を巻き付け、神宮大麻の中心の御真(ぎょしん)に用いられる[8]

大麻暦頒布始祭

9月17日に、大麻暦頒布始祭(たいまれきはんぷはじめさい)が皇大神宮神楽殿にて行われるテンプレート:Sfn

大麻暦奉製終了祭

12月20日に、大麻暦奉製終了祭が行われるテンプレート:Sfn

脚注

テンプレート:Reflist

参考文献

関連項目

外部リンク

  • テンプレート:Cite news
  • 2.0 2.1 テンプレート:Cite news
  • テンプレート:Cite journal
  • 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
  • テンプレート:Cite journal ja-jp
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