礼
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テンプレート:儒教 礼(れい)とは、さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。春秋戦国時代、儒家によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。
礼の分類
『儀礼』が扱っている礼
- 冠礼
- 婚礼
- 喪礼
- 祭礼
- 射礼
- 郷礼
- 朝礼
- 聘礼
四礼
- 『礼記』『漢書』礼楽志には礼が四つに分類されている。
- 婚姻之礼 - その由来は人に「男女の情、妬忌の別」があるため。
- 郷飲之礼 - その由来は人に「交接長幼の序」があるため。
- 喪祭之礼 - その由来は人に「哀死思遠の情」があるため。
- 朝覲之礼 - その由来は人に「尊尊敬上の心」があるため。
- 後には「冠礼」・「婚礼」・「葬礼」・「祭礼」を四礼と呼んだ。
五礼
『周礼』大宗伯には礼が五つに分類されている。
- 吉礼 - 天地鬼神の祭祀(邦国の鬼神につかえる)
- 凶礼 - 葬儀・災害救済(邦国の憂いを哀れむ)
- 軍礼 - 出陣・凱旋(邦国を同じくする)
- 賓礼 - 外交(邦国に親しむ)
- 嘉礼 - 冠婚・饗宴・祝賀(万民に親しむ)
礼学
礼は儒家によって観念化され、秩序原理にまで高められた。荀子によって理論的整備がなされ、六経の一つとして挙げられると、礼を研究・実践する学問である礼学が起こった。
秦代、焚書坑儒によって礼に関する多くの書物が散佚し、漢代に伝えられた礼経は士礼17篇(現在の『儀礼』)のみであったという。高堂生がこれを伝え、后蒼が武帝の時、博士となり、その弟子、戴徳(大戴)・戴聖(小戴)・慶普の三家に分かれて学官に立てられた。また礼経に対して注釈や補充説明をした「記(礼記)」がある。『漢書』芸文志には『記』131篇・『陰陽明堂記』・『王史氏記』、后蒼が著した『后氏曲台記』が記載されている。現在に伝わっている礼記は戴徳が伝えた『大戴礼記』、戴聖伝えた『小戴礼記』(現行本『礼記』)である。
後漢の鄭玄は古文経の『周官』を礼経とした。そして、『周官』を中心として『儀礼』と『小戴礼記』を三礼として総合的に解釈する体系的な礼学を構築した。
礼の格言
- 三顧の礼 - 劉備が諸葛亮を迎えたときの礼
- 礼に始まり礼に終わる - 武道の基本。この言葉の初出は1907年7月『武徳誌』に内藤高治が発表した論文「剣道初歩」。
- 礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず - 『礼記』ほか。