田中幸雄 (投手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 田中 幸雄(たなか ゆきお、1959年2月27日 - )は、千葉県流山市出身の元プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ

1986年から1989年にかけて同一チームに同姓同名田中幸雄(内野手、同時在籍時の表記は「田中雄」)が在籍し、投手の田中幸の方が内野手の田中雄より背が高かったため、オオユキ(190cm)と呼ばれた。

来歴・人物

千葉県立流山高等学校から社会人野球電電関東に入社。1981年都市対抗にはエースとして出場。先発で2勝をあげ、チームの準々決勝進出に貢献する。電電関東では遊撃手の経験もある。

1981年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から一軍で活躍し、5勝を挙げた。1985年6月9日の対近鉄戦でノーヒットノーランを達成、生涯唯一の完封勝利となった。1986年には膝の故障が悪化した川原昭二に代わって抑えに回り、13セーブを記録する。しかし翌1987年は開幕から不調が続き、抑え投手を松浦宏明に譲った。その後は徐々に登板機会が減少、1990年中日に移籍し、1991年限りで引退。

引退後は日本ハムのスカウト、投手コーチを経て、再び日本ハムのスカウトを務めたが、2005年退団。

2007年から社会人野球のJFE東日本のコーチに就任[1]2010年から横浜ベイスターズのスカウトに就任[2]2013年からBCリーグ信濃グランセローズの投手コーチに就任[3]。同年10月31日、本人の意向で退団することが発表された[4]

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 日本ハム 22 13 1 0 0 5 4 0 -- .556 337 74.2 67 6 49 0 2 40 1 0 37 31 3.72 1.55
テンプレート:By2 15 10 2 0 0 6 3 0 -- .667 348 85.0 66 4 34 1 2 39 1 0 23 21 2.22 1.18
テンプレート:By2 17 9 0 0 0 2 9 0 -- .182 300 63.1 72 5 40 0 4 25 1 0 51 47 6.68 1.77
テンプレート:By2 47 8 1 1 0 6 6 0 -- .500 597 138.1 121 18 76 0 5 101 1 0 77 68 4.42 1.42
テンプレート:By2 47 0 0 0 0 3 8 13 -- .273 369 87.2 88 7 25 2 4 68 5 0 40 32 3.29 1.29
テンプレート:By2 28 1 0 0 0 2 3 3 -- .400 149 34.0 45 3 7 0 1 23 5 0 21 17 4.50 1.53
テンプレート:By2 13 0 0 0 0 1 1 0 -- .500 92 20.2 26 3 8 0 0 13 2 0 15 15 6.53 1.65
テンプレート:By2 25 1 0 0 0 0 2 0 -- .000 192 42.2 46 5 26 1 1 25 3 0 28 26 5.48 1.69
通算:8年 214 42 4 1 0 25 36 16 -- .410 2384 546.1 531 51 265 4 19 334 19 0 292 257 4.23 1.46

記録

  • 初登板:1982年4月10日、対南海ホークス前期1回戦(大阪球場)、8回裏に5番手で救援登板・完了、1回無失点
  • 初奪三振:同上、8回裏にジーン・ダットサンから
  • 初先発:1982年4月21日、対ロッテオリオンズ前期2回戦(後楽園球場)、4回0/3を1失点
  • 初勝利・初先発勝利:1982年5月1日、対ロッテオリオンズ前期4回戦(川崎球場)、5回無失点
  • 初完投:1982年10月2日、対西武ライオンズ後期13回戦(後楽園球場)、5回9失点(自責点5)で敗戦投手(雨天コールド)
  • 初完投勝利・初完封勝利:1985年6月9日、対近鉄バファローズ9回戦(後楽園球場) ※史上55人目のノーヒットノーラン

背番号

  • 12 (1982年 - 1989年)
  • 35 (1990年 - 1991年)
  • 76 (2001年 - 2003年)
  • 88 (2013年)

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:北海道日本ハムファイターズ開幕投手

テンプレート:日本ハムファイターズ1981年ドラフト指名選手
  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web
  4. テンプレート:Cite web