水野忠誠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
水野 忠誠(みずの ただのぶ)は、江戸時代末期の大名、老中。駿河国沼津藩第7代藩主。沼津藩水野家14代。
生涯
天保5年(1834年)7月25日生まれ。幼名は惣兵衛。岡崎藩主本多忠考の四男。沼津藩主水野忠寛の養子となり、忠寛の隠居にともない家督を相続し、老中に進む。幕府は第二次長州征討の総大将に尾張藩主徳川慶勝を任命したが、慶勝が固辞したため、忠誠が総大将に任命された。しかし、征討の準備中であった慶応2年(1866年)10月28日、忠誠は沼津城中で急死した。跡を養子の忠敬が継いだ。