武田信春
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
武田 信春(たけだ のぶはる、? - 1413年11月16日(応永20年10月23日))は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。甲斐武田氏第12代当主。信時流武田氏の子孫で武田信成の子。官位は陸奥守及び伊豆守。
兄弟に基信、武春、布施満春、栗原武続がいる。子は信満、穴山満春(武田信元)、下条信継、市部信久、吉田成春、観音寺遠大西堂、法弥陀仏(一蓮寺住持)、上杉禅秀正室、小笠原長基正室、武田信繁室など(信春の系譜・子女については「円光院武田家系図」をはじめとする武田家系図類に拠る)。
略歴
『太平記』に拠れば、父の信成や祖父の信武とともに北朝(幕府)側に属して戦っている。文和4年(1355年)4月、柏尾山に陣を構えて甲斐国内の南朝勢力を駆逐した。
応永元年(1394年)に守護職業を継承し、山梨郡千野郷(現在の山梨県甲州市、旧塩山市千野)に館を構る。貞治4年(1365年)には、菱山の地を大善寺(旧勝沼町)に寄進しているのをはじめ、多くの寺領寄進を行っている。
『甲斐国志』や『塩山向獄禅菴小年代記』に拠れば、応永20年(1413年)には乱により館が陥落し、萩原山へ逃れる。同年に死去し、後を子の信満が継いだ。館跡には菩提寺である慈徳院が建立された。