横浜金港クラブ

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横浜金港クラブ(よこはまきんこうくらぶ)は、神奈川県横浜市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球のクラブチームである。

概要・歴史

1942年第16回都市対抗野球大会に「横浜蚕糸倶楽部」として参加した。戦後、横浜スタジアム初代社長の山口久像(横浜スタジアム関係者入口正面に銅像がある)が「横浜金港クラブ」と改称し早稲田大学など東京六大学野球のスター選手を擁し復活、通算6回の都市対抗野球大会出場を誇るが、1950年代以降は企業チーム激戦区となる神奈川で苦戦を強いられる。クラブチームとしては古豪・強豪の一員であり、最近10年間では全日本クラブ野球選手権大会の出場5回と関東地区連盟を代表するクラブチームである。

2013年第84回都市対抗野球大会予選で第2代表決定戦に進出し、三菱重工横浜相手に9回2死2ストライクまで1点リードを奪い、63年ぶりの本大会出場に王手をかけたがそこから逆転を喫した。

設立・沿革

  • 1942年 「横浜蚕糸倶楽部」設立、都市対抗野球大会初出場(初戦敗退)
  • 1946年 オーナーである山口久像が、森鴎外作詞の横浜市歌に「わが横浜は黄金の港」とあるところから引用して命名した「横浜金港クラブ」に改称
  • 1947年 第2回JABA東京スポニチ大会 優勝
  • 1950年 横浜金港クラブのエースであった日本石油社員の吉村英次郎投手が尽力し日本石油野球部が創部、同年金港から移籍。代表決定戦では金港に2-5で敗れる。
  • 1978年 クラブ選手権初出場(初戦敗退)
  • 2011年 クラブ選手権ベスト4

主要大会の出場歴・最高成績

輩出したプロ野球選手

  • 茅野秀三(1948年 中日ドラゴンズ)
  • 南村侑広(旧名:南村不可止 1950年 西日本パイレーツ~読売ジャイアンツ)
  • 茅野健一(1950年 西日本パイレーツ)
  • 矢野正之(1994年 阪神タイガース)
  • 松本健太(2007年 香川オリーブガイナーズ)
  • 平野路尚(2007年 信濃グランセローズ)
  • 山本晃太郎(2009年 香川オリーブガイナーズ)
  • 高塩将樹(2012年 富山サンダーバーズ)

歴代監督

  • 初代 1945年~1946年 鈴木茂(法政大)
  • 第2代 1947年~1955年 若原正蔵(早稲田大)
  • 第3代 1956年~1960年 佐野甚作 
  • 第4代 1961年~1977年 田村稔(法政大)
  • 第5代 1978年~1986年 石田宏(横浜市大)
  • 第6代 1986年~1993年 内田裕久(法政大)
  • 第7代 1994年~1996年 今井文英(東京大)

※今井監督海外赴任のため助監督が監督代行 1997年 馬場友行(横浜商大高)

  • 第8代 1998年~2003年頓宮従弘(関東学院大)
  • 第9代 2004年~2005年 相沢卓司(横浜国大)
  • 第10代 2006年~2010年 中村忠裕(横浜商高)
  • 第11代 2011年~2012年 今井寿七郎(東海大相模高)
  • 第12代 2012年~ 露木慎吾(早稲田大)

表彰

  • 神奈川県野球協会ベストナイン特別賞

 3回受賞 露木慎吾:1991年、2004年、2007年

 2回受賞 高木三憲:1996年、2001年、四日市直:2005年、2006年

 1回受賞 渥美修一郎:1995年、関沢宏介:2003年、廣瀬雅人:2009年、平野路尚:2010年、斎藤佳弘:2012年、菊沢竜佑:2013年

  • 山梨県知事杯 最高殊勲選手賞(細川智:1992年)
  • 都市対抗神奈川県予選 首位打者賞(渥美修一郎:1994年)
  • 神奈川県クラブ対抗トーナメント大会 最優秀選手賞(露木慎吾:2000年)
  • さいたま市長杯 最優秀選手賞(四日市直:2005年、今井寿七郎:2006年)
  • 神奈川工科大杯 最優秀選手賞(平野路尚:2010年、目黒翔太:2011年、庄野太朗:2012年)
  • 全日本クラブ野球選手権 特別賞(大会史上初ノーヒットノーラン 高塩将樹:2011年)
  • 中部謙吉杯 最優秀選手賞(澤井純一:2014年)

外部リンク