楊隆演

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テンプレート:基礎情報 中国君主 楊 隆演(よう りゅうえん)は十国の第3代王。太祖楊行密の次男。

生涯

天祐5年(908年)、兄の烈祖楊渥が左衙指揮使の張顥と右衙指揮使の徐温に殺害され、楊隆演が跡を継いだ。淮南節度使・東南諸道行営都統・同平章事・弘農郡王となったが、実権は張顥を殺害した徐温の手にあった。

天祐7年(910年)、中書令・呉王となった。

天祐16年(919年)、呉国王の位につき、武義と改元し、唐の年号を絶った。温厚な性格だったが、徐温父子の専横に不満を抱き、酒色にふけり食物をあまり摂らなくなったため病にかかり、武義2年(920年)に死去した。宣王と諡された。弟の楊溥が跡を継ぎ、楊溥が皇帝を称すると宣帝とされた。廟号は高祖。

先代:
烈祖
十国呉の第3代
908年 - 920年
次代:
睿帝