木津川駅
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ファイル:Nankaidentetu-kizugawa PICT0002.JPG
駅構外から見た全景(左が旅客ホーム、右に広がるのが貨物側線跡)
木津川駅(きづがわえき)は、大阪府大阪市西成区北津守一丁目にある、南海電気鉄道高野線(汐見橋線)の駅。駅番号はNK06-3。
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎は線路から見て西側にあり、駅舎とホームは汐見橋寄りの構内踏切で連絡している。構内に貨物用側線が2本あるが、現在は駅に隣接した踏切と本線合流部の2箇所で線路が切られている。遠隔管理を受けた無人駅となっている。便所は改札内にあり、男女共用の水洗式。なお、のりば番号は設定されていない。
(駅舎側) | テンプレート:Color高野線(汐見橋線上り) | 汐見橋行き |
---|---|---|
(反対側) | テンプレート:Color高野線(汐見橋線下り) | 岸里玉出行き |
利用状況
2012年度の調査結果では、1日あたりの平均乗降客数は86人。この数字は南海の駅全体では100駅中96位、汐見橋線(岸里玉出駅含む)の駅としては最少。なお97位以下はすべて高野線の山間部の駅である。利用者が極端に少ないうえに駅舎の場所が分かりにくいため、「大都会の中の秘境駅」と呼ばれる事もある。
近年の1日利用状況推移は下記の通り。
年度 | 1日平均 乗降人員 |
1日平均 乗車人員 |
順位 | 出典 |
---|---|---|---|---|
2007年(平成19年) | 88 | 43 | 95位 | [1] |
2008年(平成20年) | 89 | 43 | - | [2] |
2009年(平成21年) | 90 | 43 | - | [3] |
2010年(平成22年) | 87 | 40 | - | [4] |
2011年(平成23年) | 85 | 39 | - | [5] |
2012年(平成24年) | 86 | - | - | [6] |
駅周辺
駅周辺は工場が多く、駅前はあまり整備されていない。線路の東側には住宅や公園がある。
- 西成北津守郵便局
- 大阪市立北津守小学校
- リバティおおさか
歴史
- 1900年(明治33年)9月3日 - 高野鉄道の道頓堀(現・汐見橋)〜大小路(現・堺東)間延伸と同時に開業。
- 1907年(明治40年)11月15日 - 会社合併により高野登山鉄道の駅となる。
- 1915年(大正4年)4月30日 - 社名変更により大阪高野鉄道の駅となる。
- 1922年(大正11年)9月6日 - 会社合併により南海鉄道の駅となる。
- 1940年(昭和15年)9月1日 - 新駅舎使用開始[7]。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 会社合併により近畿日本鉄道の駅となる。
- 1947年(昭和22年)6月1日 - 路線譲渡により南海電気鉄道の駅となる。
隣の駅
- 南海電気鉄道
- テンプレート:Color高野線(汐見橋線)
- ()内は駅番号を示す。
過去の出来事
ファイル:難波島渡船址.JPG
難波島渡船址(旧貨物ヤードそばにあり、ここから大正方面に貨物輸送されていた)
- 今はもうないが、当駅のすぐ隣にレンガ工場があり、そこで生産されたレンガが、友ヶ島の砲台などに使用された。
- 貨物兼用駅だった時は、隣接した貨物ヤードのおかげで、今では想像もつかないほど賑わっていた。例えば、紀伊山地で伐採された材木(吉野杉など)は橋本駅で貨物車両に積込み当駅まで運び、さらに近くにある渡船を経由して、大正区方面などに貨物輸送されていた。大正区には1960年代まで貯木場が多数あったため(現在は住之江区平林に移転)、材木の積みおろし駅として当駅は重要な役割を担っていたのである。ちなみに貨物取扱時代の名残で貨物側線が残っており、規模のわりに広い駅構内となっている。
関連項目
脚注
外部リンク
テンプレート:南海汐見橋線- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 南海線・乗降人員 - 南海アド
- ↑ 『南海七十年のあゆみ』(1957年)年表