日本グランプリ (ロードレース)
日本グランプリ(にほんグランプリ、にっぽんグランプリ、Grand Prix of Japan )は、日本で開催されるオートバイレースの名称である。
概要
テンプレート:MGPに第1回の世界選手権日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催された。その後富士スピードウェイでの開催も含めテンプレート:MGPまでに5回開催された。
1987年に世界選手権が再び開催されるまでは、全日本ロードレース選手権の鈴鹿サーキットで開催される最終戦に「日本グランプリ」の名称が使われた時期がある。
テンプレート:MGPに再び鈴鹿サーキットで日本グランプリが開催されるようになり(同年にはF1日本グランプリも開催されるようになった)、以後鈴鹿サーキットではWGP/MotoGPとF1、両最高峰レースを開催するようになる。
テンプレート:MGPよりツインリンクもてぎと鈴鹿サーキットの隔年開催となる。しかし初開催されたもてぎでの開催実績が良かったことから年2回開催になり、テンプレート:MGPより春に日本グランプリが鈴鹿で、秋にパシフィックグランプリがもてぎで開催されるようになった。この2000年の日本グランプリでは地元日本勢が125ccが1位宇井陽一、2位上田昇、3位東雅雄、250ccが1位加藤大治郎、2位宇川徹、3位中野真矢、500ccが1位阿部典史、3位岡田忠之と、表彰台計9ポジションのうち8ポジションを独占する快挙を成し遂げている。特に250ccは3人が絡み合うようにチェッカーを受け、1位から3位までがわずか0秒231(4位のオリビエ・ジャックは約15秒離されている)という大会史に残る大接戦であった。
テンプレート:MGP大会では、MotoGPクラスで加藤大治郎の死亡事故や、アレックス・バロスやマルコ・メランドリが大怪我を負う事故が相次いだことから鈴鹿サーキットの安全性が問われ、テンプレート:MGP以降の同サーキットでの開催が中止、ツインリンクもてぎでの開催が日本グランプリとなっている。なお現状MotoGPセーフティー・コミッション(この2003年の事故を契機として、MotoGP参加ライダーを中心に構成された安全委員会)の求める項目を満たすにはスペース的な問題で実現がかなり困難である上、この年にFIMのグレードA認定が取り消され、グレードB認定サーキットとなった為(MotoGPの開催にはFIMグレードA認定が必要。2011年現在グレードA認定を受けているサーキットはもてぎのみである)鈴鹿サーキットでの日本GP開催は現状ほぼ不可能な状況であるといえる。
テンプレート:MGP大会は、当初の予定では4月23 - 25日に第2戦として開催予定だったが、アイスランドのエイヤフィヤットラヨークトルの噴火によって大規模な空路封鎖が発生し、ライダーやチーム関係者の移動が困難になったため、10月1 - 3日に開催が延期された[1]。
翌テンプレート:MGPの大会は4月22 - 24日に第3戦として開催予定だったが、東日本大震災の影響で9月30日 - 10月2日に延期された[2]。福島第一原発事故による放射線の影響を警戒するライダーが多く一時は開催が不安視されたが[3]、FIMがイタリアの第三者機関に委託した調査の結果、放射能の危険は無視できる程度であると報告され[4]、最終的にはほぼ全てのライダーが参戦し無事開催された。
歴代日本グランプリ優勝者
- 地の色がピンク色の部分はノンタイトル
日本GPが開催されたサーキット
- Twin Ring Motegi map.svg
- Circuit Suzuka.png
- FujiSpeedway.gif