日岡陵
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日岡陵(ひおかのみささぎ、ひおかりょう)は、兵庫県加古川市加古川町にある前方後円墳。「日岡山陵」「褶墓古墳とも。
宮内庁により第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめ)の陵に治定されている。現在、宮内庁により陵墓指定・管理されているため、学術的調査は行われていない。
概要
『播磨国風土記』に登場する印南別嬢(いなみのわきいらつめ)が、『日本書紀』の播磨稲日大郎姫にあたると考えられることから、『播磨国風土記』の賀古郡の日岡に印南別嬢の墓があるという記述にしたがって、日岡山古墳が播磨稲日大郎姫の陵であると比定されたものだと思われる。
『播磨国風土記』によると、印南別嬢は亡くなったのち、日岡に築かれた墓に葬られることになった。そこに葬るために遺体を運んでいたが、印南川(現在の加古川)を通ったとき、 川下から突風が吹いて、遺体が川の中に沈んでしまった。遺体を捜索したところ、櫛箱と褶(ひれ:肩掛け)しか見つからなかった。そのため、その二つを墓に埋葬したという。これによって、褶墓(ひれはか)と呼ばれるようになったと記されている。 この伝承に従うと、この陵には遺体はないことになる。
隣接する日岡山公園には4基の古墳が存在し、日岡陵とされる日岡山古墳とともに古墳群をなしている。宮内庁による日岡陵の比定は、このように『風土記』に記される伝承に基づくものであり、考古学的な裏付けがあるものではない。
播磨稲日大郎姫命が日本武尊らを産む際に、安産祈願をしたとされる天伊佐々彦命を祀る日岡神社に隣接している。