帝冠様式
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帝冠様式(ていかんようしき)、帝冠式(ていかんしき)は、1930年代(昭和10年前後)の日本で主張された建築様式[2][1]。鉄筋コンクリート造の洋式建築に和風の屋根を載せた和洋折衷の建築様式である[2][1]。
概要
1930年代のナショナリズムの台頭を背景に、モダニズム建築に対抗して発生した[2]。洋風のビルに日本の伝統的な屋根を調和させずに組み合わせたぎこちないデザインだが、その違和感が伝統を強調する効果を持ち一般人にもナショナリズムを強く印象づけた[1]。ただし、ドイツの第三帝国様式とは異なり、日本のナショナリズムや政府がこうしたデザインを推進したわけではなく、ごく一部で試みられるにとどまっている[1]。
語源は下田菊太郎が1920年に発表した帝国議会(現・国会議事堂)コンペ案で、ローマ神殿風の壁体に日本風の屋根を載せた自案を「帝冠併合式」と称したことに由来する[2][1]。
代表的な建造物
人名は設計者、年は竣工年
渡辺仁の東京帝室博物館(現・東京国立博物館)を帝冠様式の代表とする考えもあるが[2]、屋根だけでなく壁体も和風であり伝統をイデオロギッシュに強調していないことから、帝冠様式に分類するのは誤りである[1]。
参考文献
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 藤森照信『日本の近代建築 下 大正・昭和篇』岩波書店、1993年11月22日、21-23頁。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 彰国社編『建築大辞典 第2版』彰国社、1993年、1,113頁。