市川流
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市川流(いちかわりゅう)
概要
歌舞伎の七代目市川團十郎の芸を、九代目市川團十郎が磨き上げて市川宗家の舞踊として創始した流派。流祖は九代目市川團十郎。
二代目は、九世市川團十郎の長女 堀越実子が二代目市川翠扇となって継ぎ、三代目は、市川旭梅の娘 市川紅梅が三代目市川翠扇となって継いだ。現在は、十一代目市川團十郎の長男の十二代目市川團十郎が四代目宗家を継ぎ、妹市川紅梅が実際面を補佐している。團十郎の娘、三代目市川ぼたんも舞踊界にデビューしている。
なお、市川猿之助(いちかわ・えんのすけ)は、個人舞踊家。また、大阪市川流があり、そこから昭和32年(1957年)に関西花園派が独立している。松見彌翠穂の松見彌流も、市川流から独立した。[1][2]
系図
市川流、家元の系図。[3] ※歴代の家元は太字で表記。
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脚注
- 出典
- ↑ 藤田洋『日本舞踊ハンドブック改訂版』三省堂、2010年6月20日
- ↑ 西川流 扇若会 - 流派事典 - 市川流
- ↑ 和角仁『あなたの日本舞踊・六巻』学研、2003年8月8日