川越市立川越高等学校

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川越市立川越高等学校(かわごえしりつ かわごえこうとうがっこう)は、埼玉県川越市旭町二丁目にある市立高等学校

県立の埼玉県立川越高等学校とは設置者が違い、学校名が似ているが、特別な関係は有していない。略称は「市立(いちりつ)川越」、市内に限れば「市立」、旧称の川越商業高校から「川商」とも。

概要

1926年に埼玉県川越商業学校として設立された。旧称は、埼玉県川越商業高等学校(通称「川商」)であり、長らく県西部随一の商業高校として多くの人材を輩出してきたが、2002年に現校名に改称され、全日制の課程普通科国際経済科情報処理科を設置した。

生徒数は、2013年5月現在で855名(男子296名・女子559名)で、女子生徒が多い。

全般的に部活動が盛んで、特に女子バレーボール部が県内有数の強豪であるほか、野球部も1989年第71回全国高等学校野球選手権大会に出場した。その他の部活動も県大会で上位に入賞するなど活躍している。制服は男子は詰め襟、女子は県内ではやや珍しいセーラー服。女子のセーラー服は胸当てがなく、紺×白3ラインというシンプルなデザインで人気がある。

工業学校時代の1945年8月の広島市への原子爆弾投下のアメリカ政府発表放送を、同校内に置かれた同盟通信川越支局が傍受した。

沿革

  • 1926年大正15年) - 埼玉県川越商業学校設立
  • 1942年昭和17年) - 埼玉県川越実科高等女学校設立
  • 1943年(昭和18年) - 埼玉県川越市立高等女学校と改称
  • 1944年(昭和19年) - 埼玉県川越市立工業学校に転換
  • 1946年(昭和21年) - 工業学校廃止、商業学校に復元
  • 1948年(昭和23年) - 埼玉県川越市立高等学校設立
  • 1950年(昭和25年) - 埼玉県川越商業高等学校と改称
  • 2002年平成14年) - 川越市立川越高等学校と改称、学科再編

川越市立川越高等学校沿革(川越市のウェブページ)より

施設

  • テニスコートは校内にはなく、学校から徒歩で約5分の「いなげや川越旭町店」隣りに3面ある。
  • 校内にプールがないため、水泳部はない。

部活動

  • 野球部
川越商業学校時代の1930年創部。センバツ出場はないものの、1989年第71回全国高等学校野球選手権大会に初出場し、2回戦から登場して、八幡商業高校に6-2で敗れた。2013年の秋季埼玉県大会で準優勝し、33年ぶり3度目の秋季関東高校野球大会に出場したが、1回戦で横浜高校と対戦し、0-5で敗れた。
  • 女子バレーボール部
川越商業時代が特に強く、インターハイへ31回、全日本高校選手権へ31回出場している。1984年インターハイで準優勝、1989年春の高校バレーでベスト4に輝いている。女子は強豪だが、男子バレーボール部はない。

校歌

作詞:内藤益治、作曲:山取秋夫である。

著名な卒業生

進路状況

元々が商業高校だったこともあり、国際経済科情報処理科は、大学進学よりも就職や専門学校が卒業生の進路の中心である。

  • 普通科…大学57名、短大11名、専門学校24名、就職15名。(平成20年3月卒業生)
  • 情報処理科・国際経済科…大学32名、短大15名、専門学校34名、就職66名。(平成20年3月卒業生)

関連項目

外部リンク

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