岩上 朝堅(いわかみ ともかた、生没年不詳)は結城氏の家臣。
元の名は三浦義堅であったが、功績を立てたことから「結城四天王」のひとりとなり、結城氏の重臣であった岩上姓を与えられ、同時に主君・結城晴朝の「朝」の一字を賜った。常陸方面の結城領を管轄し、外交面でも活躍したという。
子の岩上朝吉は、結城秀康に仕えて1601年の越前転封に従い、四千五百石を給された。